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地球が見える 2010年

東西文化の交叉点イスタンブール、トルコ

イスタンブール市周辺
イスタンブール市周辺
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図1 イスタンブール市周辺

 図1はALOS(だいち)が2010年5月に捉えたイスタンブール市周辺の画像です。アジア側アナトリア高原(画像右側)とヨーロッパ側バルカン半島(画像左側)を隔てるボスポラス海峡を挟んで、トルコ共和国最大の都市イスタンブール市は位置しています。図中の赤みがかった灰色の部分が市街地で、海峡をまたいで市街が広がっている様子がわかります。
市街中心部から南西方向に約15 km離れてアタテュルク国際空港があります。トルコ最大の空港で建国の父ケマル・アタテュルクから名付けられました。
ボスポラス海峡は黒海とマルマラ海を結ぶ長さ約30 km、幅約700 m〜3,600 mの海峡で、黒海の周辺各国から流れ込む河川の水は全てボスポラス海峡を通って地中海まで流れます。画像にも黒海側の明るい青色の海水がマルマラ海に流れ出ている様子が見て取れます。ここには大きな吊り橋が2つ架かっています。南側は第一ボスポラス大橋(1973年完成)、北側は第二ボスポラス大橋(1988年完成)です。それぞれの最大支間長(メインケーブルを支える主塔間の距離)は1,074 mおよび1,090 mです。ちなみに、世界最長の明石海峡大橋は1,991mです。第二ボスポラス大橋の建設資金には円借款が使われ、日本の技術が注ぎ込まれました。

イスタンブール市街拡大図
イスタンブール市街拡大図
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図2 イスタンブール市街拡大図
(Google Earthで見るイスタンブール市(kmz形式、5.39 MB高解像度版))

 ヨーロッパ側の市街地は金角湾を挟んで南側の旧市街と北側の新市街に分かれています。旧市街は1000年もの長きにわたりビザンティン帝国の首都として繁栄したコンスタンチノーブル(イスタンブールの前の名前)の城壁内だった地域で、歴史的建造物が数多く建ち並んでいます。
図2の下側半分は旧市街で、その右側の緑色で囲まれた建物がトプカプ宮殿です。オスマン朝の支配者の居城として、ボスポラス海峡を望む小高い丘に建てられ、政治文化の中心でした。その南側にアヤソフィア博物館があります。キリスト教ギリシャ正教の大聖堂として完成しながらイスラム教モスクに姿を変えたイスタンブールを象徴する建物です。さらにその南にはスルタンアフメット・ジャミィ(モスクをトルコ語でジャミィという)があります。大きなドームと6本のミナーレ(尖塔)をもつトルコを代表するイスラム寺院です。
旧市街中央の赤茶色部分はグランドバザールです。小さな店が無数に集まる中近東ならではの市場で東京ドームの3分の2程の広さがあります。
その左側にはローマ帝国の遺構、ヴァレンス水道橋が映っています。2階建てアーチに支えられた水道橋は高さ20 m、長さは1 km近くあり、アーチの下にはアタテュルク橋に向かう道路を多くの車が通過していきます。
金角湾の入り口にはヨーロッパ側の鉄道の終点スィルケジ駅があります。かつてのオリエント急行の終着駅です。
旧市街は1985年に「イスタンブール歴史地区」として国際連合教育科学文化機関 (UNESCO)の世界文化遺産に登録されました。

 図2の上半分は新市街で、ビジネスの中心地として高級ホテルやショッピング街が並んでいます。しかしその歴史は古くビザンティン時代にはジェノヴァの商人が自治権を握っていました。
新市街の中央を左下から右上に伸びる灰色の道路がイスティクラル通りです。イスタンブール一番の繁華街で休日には人であふれかえります。
その右上の緑色で囲まれた建物はドルマバフチェ宮殿です。17世紀初め、ボスポラス海峡の入り江が埋め立てられ庭園が造られました。ここに19世紀中頃、絢爛豪華なヨーロッパ・バロック様式の宮殿が建てら、オスマン朝末期のスルタンの居城となりました。

イスタンブール・アジア側市街拡大図
イスタンブール・アジア側市街拡大図
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図3 イスタンブール・アジア側市街拡大図

 アジア側の市街地は新興の住宅地ですが、ユスキュダルやカドゥキョイは長い歴史を持つ地区で伝統家屋が残る古い街並みが残っています。図3の赤茶色の部分が住宅地です。城壁を持っていなかったため幾度も侵略で破壊されました。
図中央の四角い建物はセリミエ工兵営です。クリミア戦争(1853年より始まったロシアとトルコの戦争)では病院として使われイギリス人看護婦ナイチンゲールが活躍しました。
図中央やや下側にアジア側の鉄道の起点となるハイダルパシャ駅が見えます。駅舎は1906年ドイツの建築家により建造されたものです。現在ヨーロッパ側とはフェリーによって連絡しています。

ボスポラス海峡横断地下鉄整備事業

 現在「ボスポラス海峡横断地下鉄整備事業」が円借款により行われています。海峡横断トンネルは150年前のオスマントルコ時代から構想され、世界中の土木専門家により幾度となく計画されましたが、潮流(最大5ノットに及ぶ)や地盤(アナトリア断層に近い)の問題で頓挫してきました。しかし、日本国際協力銀行(JBIC)と欧州投資銀行(EIB)の資金調達でトルコ政府は日本企業へ工事を発注し、現在建設が進んでいます。海峡トンネル部は2008年10月に完成し、2010年3月には東側の陸地と海底トンネル部分がつながりました。図3左上のユスキュダルの埠頭付近に見えるバーコードの様な幾何学的模様は建設中のユスキュダル駅、海峡に突きだした直線状の構造物は地上で作成したトンネルを海底に埋める(沈埋トンネル)ための施設です。完成予定は2013年10月です。近い将来オリエント特急がパリからイスタンブールを通りアジアへと乗り入れる日がくるかもしれません。

日本トルコ友好120周年

 1890(明治23)年9月16日,日本への親善使節を乗せたトルコの軍艦エルトゥールル号は、帰途台風に遭遇,和歌山県串本沖で沈没しました。587名が死亡する惨事でしたが、地元民の献身的な救助と看護で、救出された69名の乗組員が無事トルコに帰国しました。この遭難事故と救助活動を機に両国の親交が深まったのです。
遭難事故から120年、本年は「日本・トルコ友好120周年」として、世界有数の親日国であるトルコとの絆をより一層深いものとするため、数々の活動が行われています。



観測画像について

観測衛星: 陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)
観測センサ: 高性能可視近赤外放射計2 型(AVNIR-2)及び
パンクロマチック立体視センサ(PRISM)
観測日時: 2010年5月 5日09時02分頃(AVNIR-2、図1〜3)および
2010年3月20日09時03分頃(PRISM、図2、3)(いずれも日本標準時)
地上分解能: 10 m(AVNIR-2)および2.5 m(PRISM)
地図投影法: UTM(ユニバーサル横メルカトール)

AVNIR-2 は、4つのバンドで地上を観測します。図は、いずれも可視域のバンド3(610 〜 690ナノメートル)、バンド2(520〜600 ナノメートル)とバンド1(420〜500ナノメートル)を赤、緑、青に割り当てカラー合成しました。この組合せでは、肉眼で見たのと同じ色合いとなり、次のように見えています。

濃緑: 森林
明るい緑: 草地
茶色: 農地
赤茶色: 市街地
青: 水域
白: 道路、裸地、雲

(図2、3)
PRISMは地表を520〜770 ナノメートル(10億分の1メートル)の可視域から近赤外域の1バンドで観測する光学センサです。得られる画像は白黒画像です。前方、直下、後方の観測を同時に行いますが、ここでは直下視の画像を使っています。
AVNIR-2の、バンド3 (610〜690ナノメートル)、バンド2 (520〜600ナノメートル)とバンド1 (420〜500ナノメートル)を赤、緑、青色に割り当てカラー合成したAVNIR-2画像を「色相(Hue)」、「彩度(Saturation)」、「明度(Intensity)」に変換(HSI変換)し、明度をPRISM画像で置き換えて再合成することで見かけ上、地上分解能2.5mのカラー画像を作成することができます。図2、3はこのように高分解能の白黒画像と低分解能のカラー画像を組み合わせて合成された高分解能のカラー画像、つまりパンシャープン画像です。

本文ここまで。
画像:人工衛星の情報を掲載 サテライトナビゲーター
画像:衛星利用の情報を発信 衛星利用推進サイト
画像:衛星から見た地球のデータ集
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