地球が見える 2007年
モーツァルト生誕の地、ザルツブルク
ザルツブルクの東には、いくつかの湖と山並みが織り成す景勝地、ザルツカマーグートがあります。ここの湖は氷河作用によって作られた凹地に水が溜まってできた氷食湖です。ザルツカマーグートとはハプスブルク家の「塩の御料地」を意味し、図の右下のハルシュタット湖の西岸には紀元前2千年紀半ばには本格的な岩塩採掘が行われていた世界最古の塩坑であるハルシュタット塩坑があります。このため、「ハルシュタット・ダッハシュタイン ザルツカマーグートの文化的景観」は1997年に国際連合教育科学文化機関 (UNESCO)の世界文化遺産リストに追加されました。また、バート・イシュル(イシュル温泉)には、オーストリア帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ(1830〜1916年)が建てた夏の別荘があります。 図の下のヴェルフェンという町の近くには、世界最大と言われる氷の大洞窟アイスリーゼンヴェルトがあります。 ザルツブルクの市街地とザルツカマーグートはアメリカ映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となりました。
ザルツブルクのザルツは塩、ブルクは城を意味し、図の下の方のハラインで採掘された岩塩が、ザルツァッハ川を経由して運ばれ、ザルツブルクは古くから岩塩の取引で栄えて来ました。 図の上の方のザルツァッハ川が小さくヘアピンのように曲がっているところにオーベンドルフという村があります。この村には1818年のクリスマスに「きよしこの夜」が作曲・初演された教会がありましたが、川の氾濫で流されてしまい、現在は、きよしこの夜礼拝堂ときよしこの夜博物館があります。 図の右側には「サウンド・オブ・ミュージック」に登場する3つの湖が見えています。フシュル湖はオープニングに登場し、モント湖の北西端のほとりの教会はマリアとトラップ大佐の結婚式の会場となり、ヴォルフガング湖の北岸の蒸気機関車に引かれるシャーフベルク登山鉄道はピクニックシーンに登場しました。また、ザルツブルクの南の近郊に17世紀に建てられたフロンブルク城とヘルブルン宮殿も、この映画に登場しました。
これらの建物を含む旧市街は「ザルツブルク市街の歴史地区」として1996年にUNESCOの世界文化遺産リストに追加されました。 ザルツァッハ川の北東側の新市街には1606年に建てられたミラベル宮殿が鮮緑色の四角い枠の形に見えています。ミラベル宮殿の南350mほどの所には、モーツァルトの住居の他、ドップラー効果を発見したクリスチャン・ドップラー(1803〜1853年)と20世紀で最も偉大な指揮者とされるヘルベルト・フォン・カラヤン(1908〜1989年)の生家があります。 ミラベル宮殿の北にはザルツブルク中央駅が黒っぽく見えています。ザルツブルクはドイツとの国境のすぐ近くに位置しているので、ミュンヘンまではEC(ユーロシティ:国際間の特急列車)で1時間半で行けますが、ウィーンまではECまたはOBB-EC(オーストリア連邦鉄道の国内特急)で3時間かかります。この他、スイスのチューリッヒ、クロアチアのザグレブ、スロベニアのリュブリャナ、ハンガリーのブダペストとの間を結ぶ国際列車が発着します。 図の左にはザルツブルクW.A.モーツァルト国際空港が見えています。ベルリン、ロンドン、パリ、サンクト・ペテルブルク、ウィーン、チューリッヒなどへの便が発着します。空港の北には、オーストリア・ブンデスリーガ(一部リーグ)の2006〜2007年シーズンで優勝したレッドブル・ザルツブルクが本拠地とするヴァルス・ジーツェンハイム・スタジアムが白い四角の枠として見えています。2006年末からは日本の宮本恒靖と三都主アレサンドロの両選手が所属しています。 ヴォルフガング・アマデウス・(W.A.)モーツァルトの父親は、ザルツブルクの宮廷音楽家で、息子の才能に気づいて、音楽の英才教育を施し、6才のときから25才でウィーンに移るまで、ミュンヘン、ウィーン、パリ、ロンドンへ、またアルプスを越えてイタリアへ、親子で演奏旅行に出かけました。当時は鉄道や高速道路なども整備されていなかったので、モーツァルト親子は駅馬車や自家用の馬車を使って、時には病気と闘いながら合計9年近くの旅行を行いました。録音技術のない時代だったので、音楽を聴いてもらうには出かけていって、生演奏を行うしかなく、また、音楽産業が発達していなかったので、音楽家たちはスポンサーとなってくれる王侯貴族を探す必要があったのです。 蓄音機や映写機が発明されたのは、モーツァルトの時代の1世紀後のことで、1965年に公開された「サウンド・オブ・ミュージック」には、上記のミラベル宮殿の庭園や、祝祭劇場、レジデンツ、メンヒスベルクが舞台として使われました。また、8世紀初めに創建され、19世紀後半に現在の姿となったノンベルク修道院はマリアがいた修道院として、18世紀前半に大司教の居城として建てられたレオポルツクロン城はトラップ家の家として登場しました。
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