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地球が見える 2007年

港町神戸と震災からの復興

図1 神戸市周辺の画像
(Google Earthで見る神戸 (kmz形式、2.68MB、低解像度版))
図1は2007年2月に捉えた神戸市周辺の画像です。神戸市は、人口約150万人を有し、北は六甲山(ろっこうさん、913m)、摩耶山(まやさん、702m)を中心とした山々からなり、南は瀬戸内海に面し、その地理的特徴から市街地は東西に細長く伸びています。扇状の入り江部に発展した日本初の水深15mの理想的な港湾・神戸港を有する日本を代表する国際的な港町です。
六甲山麓の有馬温泉は日本三古湯の一つとして有名で、天下を統一した豊臣秀吉が有馬温泉をこよなく愛し、何度も訪れたことはよく知られています。海岸線は埠頭や埋立地が多く、その中でも際立っているのがポートアイランドと六甲アイランドです。
ポートアイランドは昭和56年(1981年)に完成(第1期)した人工島で、神戸大橋及び港島トンネルによって神戸中心部と結ばれています。市民の健康を預かる神戸市民病院も建設され、都市機能を一通り備えています。また、神戸ポートアイランド博覧会「ポートピア'81」が開催された場所でもあります。新交通ポートアイランド線で平成18年(2006年)に開港した神戸空港とつながっています。
六甲アイランドも人工島で、島全体が「向洋町」というひとつの町です。埋め立ては平成4年度(1992年度)に終了しました。1988年 3月に最初の住宅街が完成して入居が始まり、都市機能の整備が現在も続けられています。また、六甲アイライドの沖合では、廃棄物の最終処分場の整備のため、平成10年度(1998年度)から六甲アイランド南の埋め立てが行われています。

神戸港は古くから天然の良港であり、「大輪田の泊」(おおわだのとまり)と呼ばれ、中国大陸や朝鮮半島の港と交流していました。現在のような国際港、国際都市となる基礎を築いたのは平氏の全盛期を築いた平清盛(1118年〜1181年)といわれています。清盛が修築した大輪田の泊は、現在は埋め立てられていますが、図1の緑色の実線で示すあたりでした。入江は、海中に突き出た和田の岬で西風を防がれ、和田岬を回ってきた船が入り込むのに容易な良港でしたが、東北側の堤防が、旧湊川の氾濫や風波でたびたび決壊していました。清盛は、ここに強固な人工の島を築造して港の防波としたのです。清盛が築いた島は経ケ島といわれ、現在の図1の矢印辺りと推定されます。こうして整備された大輪田の泊は、平安時代(794年〜1192年)は宋と、室町時代(1336年〜1573年)は明との貿易で、国際港としての役割を果たすことになります。
源平の合戦以後、戦乱により神戸の町は荒廃し、海上貿易の中心を大阪の堺に譲ることになります。江戸時代(1603年〜1868年)になると「兵庫の津」と呼ばれ、鎖国政策のために外国貿易は途絶えますが、1672年に西廻り航路(日本海沿岸—関門海峡—大阪—紀伊半島—江戸)が開かれて以来、神戸は天下の台所・大阪の外港としてその地位を築き、大阪や江戸を結ぶ海上輸送の要衝を担うことになりました。そして、ペリー来航(1853年7月8日)後、慶応3年(1868年)に神戸港は開港しました。
その後、阪神大水害、太平洋戦争等の苦難を乗り越えて、昭和16年(1941年)には100万人の人口を擁する都市へと発展しました。

図2 神戸市長田区付近の拡大図
平成7年(1995年)1月17日(火)午前5時46分に発生した直下型の兵庫県南部地震(マグニチュード7.3)に伴う阪神・淡路大震災では、神戸市は大打撃を被りました。全壊家屋は約67,000棟、全焼家屋は、約6,900棟にも達しました。
特に神戸市長田区においては火災の被害が甚大で、地震直後に発生した火災に伴う火災旋風が確認されています。このため、近隣の建物に次々と延焼し、約6,000棟を越す建物が焼失しました。図2の楕円で囲まれた部分が焼失した地域です。図2は震災から丸12年後の家屋の再建の状況を示していますが、まだ空き地が残っており、元通りの復旧には至っていないことが分ります。

図3 神戸市東灘区付近の拡大図
鉄道・道路等は、新幹線、JR、私鉄、地下鉄、阪神高速道路で51箇所も寸断し、救援物資輸送や人の移動が困難となりました。特に、東灘区の阪神高速道路神戸線の約600mにも渡る倒壊は、震災の甚大な被害を象徴するものとして、世界中の新聞の一面に大きく報道されました。(図3の緑色が倒壊部分を示しています)

図4 今年(左)と震災直後(右、1月20日)のポートアイランド付近の拡大図
神戸港も被害が大きく、コンテナバース、岸壁等のほとんど全てが使用不可能となりました。また、ポートアイランドや六甲アイランドなど埋め立て地を中心に地面が軟弱化する液状化現象が見られ、このために、海からの支援なども難しい状態となってしまいました。
図4は今年初め(左)と震災直後(右)の画像を比較したもので、震災直後の画像で白くなっている部分が液状化現象発生場所であると識別されます。道路・鉄道の復旧には、全線開通までに約3年を、主な港湾施設については約2年を要しました。
平成18年(2006年)には神戸空港が開港し、海・空・陸の総合交通体系が確立され、平清盛の進取の気風を受け継いだ神戸は、阪神・淡路大震災の大痛手をほぼ自力で乗り越え、現在も我が国有数の魅力あふれる都市として発展し続けています。



観測画像について:
(図1〜図3、図4左、図をクリックすると二段階で拡大します)
観測衛星: 陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)
観測センサ: パンクロマチック立体視センサ(PRISM)及び高性能可視近赤外放射計2 型(AVNIR-2)
観測日時: 2007年1月12日10時52分頃、2007年2月27日10時52分頃(PRISM)及び2007年2月27日10時52分頃(AVNIR-2) (いずれも日本標準時)
地上分解能: 2.5m(PRISM)、10m(AVNIR-2)
地図投影法: UTM(ユニバーサル横メルカトール)
PRISMは地表を520〜770 ナノメートル(10億分の1メートル)の可視域から近赤外域の1バンドで観測する光学センサです。得られる画像は白黒画像です。前方、直下、後方の観測を同時 に行いますが、ここでは直下視の画像を使っています。
AVNIR-2は、衛星進行方向に直交する方向に観測領域を変更するポインティング機能を持っていて、4つのバンドで地上を観測します。このうち、バンド1 (420〜500ナノメートル)、バンド2 (520〜600ナノメートル)とバンド3 (610〜690ナノメートル)を青、緑、赤色に割り当てカラー合成したAVNIR-2画像を「色相(Hue)」、「彩度(Saturation)」、「明度(Intensity)」に変換(HSI変換)し、明度をPRISM画像で置き換えて再合成することで見かけ上、地上分解能2.5mのカラー画像を作成することができます。
図1〜3および図4左は、このように高分解能の白黒画像と低分解能のカラー画像を組み合わせて合成された高分解能のカラー画像、つまりパンシャープン画像です。この組合せでは、肉眼で見たのと同じような色合いとなり、次のように見えています。

黄土色、茶色: 裸地
緑色: 森林
青っぽい灰色: 市街地、道路
濃紺: 水面
白:

(図1〜図3、図4左、図をクリックすると二段階で拡大します)
観測衛星: スポット衛星(CNES)
観測センサ: HRV(High Resolution Visible Imaging System)(パンクロ)
観測日時: 1995年1月20日
地上分解能: 10 m
地図投影法: UTM(ユニバーサル横メルカトール)
HRV(パンクロ)は地表を510〜730 ナノメートル(10億分の1メートル)の可視域1バンドで観測する光学センサです。得られる画像は白黒画像です。軌道直下を中心に斜め観測が可能ですが、ここでは東に向かって22゚斜め観測を行った画像を使っています。

関連サイト:
ALOS 解析研究ページ
海上空港と古墳のある風景:大阪
文明開化から「みなとみらい21」へ:港、横浜
地球が見える 陸地・地形
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画像:人工衛星の情報を掲載 サテライトナビゲーター
画像:衛星利用の情報を発信 衛星利用推進サイト
画像:衛星から見た地球のデータ集
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