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地球が見える 2006年

ドニエプル川西岸の古都、ウクライナの首都:キエフ

図1 ウクライナ、キエフ周辺
全体画像
図1は陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)搭載の高性能可視近赤外放射計2型(AVNIR-2)とパンクロマチック立体視センサ(PRISM)が2006年8月に同時に捉えた画像に基づいて作成したウクライナの首都、キエフ周辺の画像です。図右上に黒く見えるのがドニエプル川で北から南へ流れています。この川にかかる橋は北から、道路橋、鉄道橋、歩道橋が2つ見えます。建設中の橋の台座が掘割の港の東に見えています。図には空港が2箇所に見えます。図左上に見えるのがキエフ・スヴャトーシノ空港、図下に見える空港がかつてのキエフへの玄関口、キエフ・ジュリャーヌイ国際空港です。1960年代にドニエプル川東岸に建設された、より大きなキエフ国際空港(ボリスピリ空港。全体画像の右側に見えています。)にその役割を譲りました。日本からの直行便はないので、日本からキエフに行くためにはヨーロッパの主要空港を経由する必要があります。図の左下から中央に突き出し、右下に降りる茶色がかった灰色の曲線は鉄道です。右下に降りたところにキエフ駅があります。

図2 キエフ中心部の拡大画像
(Google Earthで見るキエフ、ウクライナ(kmz形式、1.42MB、低解像度版))

写真1 独立広場 写真2 ソフィア聖堂
キエフは1500年余の歴史を持つ東スラブ随一の古都です。キエフの町の中心部はドニエプル川西岸にあり、その中心となるのが独立広場です(写真1)。この広場はメインストリートのフレシチャーチク通りを跨いで広がっており、北側が古い広場、南側は建国10年の2001年に地下ショッピングセンターなどを備えて整備されました。南側の広場の中心には高さ52mのウクライナ独立記念碑が建っており、図ではその陰が見えています。独立広場から北に進むと、青い教会と呼ばれる聖ミハイルの黄金ドーム修道院があり、図にも修道院の屋根の上にそびえる黄金ドームが7個の点として見て取れます。そこよりほぼ西の、通りを突き当たったところに1037年に建てられて現存するキエフ最古の教会、ソフィア聖堂があります(写真2)。

ソフィア聖堂の北には、サンクト・ペテルブルクの冬の宮殿、夏の宮殿などを手がけたイタリア出身の建築家ラストレリの設計によって18世紀半ばに建てられたアンドレイ教会があります。この教会から北西に下る坂がアンドレイ坂で、みやげ物を売る露店と観光客でにぎわっているそうです。アンドレイ坂を下ったところがポディールと呼ばれるかつての商業地区で、古都の風情を思わせる低い家並みや古い建物が続いています。ポディール地区にはチェルノブイリ博物館があります。今からちょうど20年前の1986年に爆発事故が起きたチェルノブイリ原子力発電所は、キエフの北100km程のところに位置しています。

独立広場の東、ドニエプル川河岸に沿った丘陵地は5 kmにわたって緑に覆われたウラジーミル公園です。下流の丘陵地は黄金のドームが林立する「修道院の森」となっており、ペチェールスカ大修道院があります。「キエフ:聖ソフィア大聖堂と関連する修道院建築物群、キエフ-ペチェールスカヤ大修道院」は1990年に国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の世界文化遺産リストに追加されました。

写真3 国立キエフ大学
図左下のキエフ駅の東の五角形の緑地公園の東には国立キエフ大学(写真3)あります。建物正面が真っ赤な色で塗られているのが特徴ですが、これはロシア皇帝ニコライ1世が徴兵拒否運動を起こした学生たちへの罰として、建物を血の色で塗りつぶすよう命じた名残だそうです。

国立キエフ大学からソフィア聖堂に向かって2ブロックのところに黄金の門があります。ここは11世紀前半にキエフ市街を取り囲んでいた城壁の公式の入口があった場所ですが、1240年にモンゴル軍によって破壊され、1982年に再建されたもので、内部に門の廃墟が包まれるように保存されているそうです。

図下には1980年のモスクワ・オリンピック(アメリカ、中国、日本など50カ国は、ソ連によるアフガニスタン侵攻に抗議して、参加をボイコット)のために建設されたオリンピック・スタジアムが見えています。当時ここでは、サッカーの予選と準々決勝が行われました。このスタジアムはウクライナで最大のスタジアムで、当初は10万人(現在は8万3000千人)の観客を収容できたそうです。

キエフはロシアとヨーロッパの狭間に位置し、古くは紀元前6世紀から紀元4世紀頃までのスキタイ・サルマタイ国家の時代、紀元4〜6世紀頃から1240年モンゴル軍による破壊までのキエフ・ルーシの時代、14〜16世紀のウクライナ・コサックの時代、16〜19世紀のロシア帝国の時代、その後のソ連時代、それ以降、1991年12月の独立まで常に歴史の中にいました。ウクライナはソ連時代の分業政策により、鉄鋼、造船、航空宇宙産業などの軍需産業を担っていただけあって、科学技術の水準はきわめて高いそうです。また、ソ連時代の穀物生産も担っていました。21世紀に食糧危機が起こった場合には、それを救う国のひとつはウクライナだという予想さえあるといいます(*)。



(*)黒川祐次著、物語 ウクライナの歴史、中公新書1655

観測画像について:
(図1及び図2)
観測衛星: 陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)
観測センサ: パンクロマチック立体視センサ(PRISM)および高性能可視近赤外放射計2型(AVNIR-2)
観測日時: 2006年8月16日午前09時05分頃(世界標準時)
地上分解能: 2.5 m(PRISM)および10 m(AVNIR-2)
地図投影法: UTM(ユニバーサル横メルカトール)
PRISMは地表を520〜770 nm(ナノメートル:10億分の1メートル)の可視域から近赤外域の1バンドで観測する光学センサです。得られる画像は白黒画像です。前方、直下、後方の観測を同時に行いますが、ここでは直下視の画像を使っています。
AVNIR-2は、衛星進行方向に直交する方向に観測領域を変更するポインティング機能を持っていて、4つのバンドで地上を観測します。このうち、バンド1 (420〜500ナノメートル)、バンド2 (520〜600ナノメートル)とバンド3 (610〜690ナノメートル)を青、緑、赤色に割り当てカラー合成したAVNIR-2画像を「色相(Hue)」、 「彩度(Saturation)」、 「明度(Intensity)」に変換(HSI変換)し、明度をPRISM画像で置き換えて再合成することで見かけ上、地上分解能2.5mのカラー画像を作成することができます。
このように高分解能の白黒画像と低分解能のカラー画像を組み合わせて合成された高分解能のカラー画像をパンシャープン画像と呼びます。この組合せでは、肉眼で見たのと同じような色合いとなり、森林は深緑に、草地や畑地は薄緑に、露出した土壌は黄土色に、道路は灰色に、建物の屋根の色はそのままに見えています。
また、全体画像は上記パンシャープン画像の元となったAVNIR-2画像の全体を示しています。白は雲、青は川、湖、黄土色や茶色は農地、灰色は市街地、黒はデータのないところです。

関連サイト:
ALOS 解析研究ページ
加賀百万石の城下町:金沢
ガウディたちが活躍した街:スペイン、カタルーニャ州バルセロナ
「つくば」のパンシャープン画像
地球が見える 陸地・地形
本文ここまで。
画像:人工衛星の情報を掲載 サテライトナビゲーター
画像:衛星利用の情報を発信 衛星利用推進サイト
画像:衛星から見た地球のデータ集
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