地球が見える 2009年
クメール建築の傑作−アンコール遺跡
アンコール遺跡は、東南アジア最大の湖トンレサップ湖の北側に残されたアンコール王朝の首都の遺跡です。トンレサップ湖については、2004年4月8日にも紹介しましたが、雨季(5月〜10月上旬)と乾季(10月中旬〜4月)でその面積が大きく変わります。雨季には、その面積が乾季の3〜4倍になります。 図1 トンレサップ湖とアンコール遺跡
図1にはトンレサップ湖とアンコール遺跡が写っています。アンコール遺跡とトンレサップ湖との間にある町が観光の拠点となるシェム・リアップです。また、空港も写っています。 遺跡は、アンコール・ワット、アンコール・トム等から構成されています。12世紀前半にアンコール王朝(クメール王朝)のスーリヤ・ヴァルマン2世によってアンコール・ワットが建設されました。12世紀後半のジャヤー・ヴァルマン7世がアンコール・トムを建設したとされています。これらの寺院は当初はヒンドゥー教寺院として建設されましたが、後に仏教寺院へ改修されています。クメール美術の傑作として1992年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。 図2 アンコール遺跡全体
(Google Earthで見るアンコール遺跡(kmz形式、4.28MB、低解像度版)) 図2はアンコール遺跡の全体です。画像の左にあるのが、西バライという貯水地です。東にも大きな貯水池がありましたが、干上がっています。その間の木々に覆われている部分がアンコール・トムです。その下のお堀に囲まれたところが、アンコール・ワットです。そのほかにも遺跡が点在しているのが見えます。 アンコール・ワットとアンコール・トム
アンコールの意味は"王都"ですが、ワットは"寺院"を意味します。1586年にポルトガル人の修道士が西欧人として初めてアンコール・ワットを訪れました。1632年には、日本人も参拝し、仏像を納めたようです。アンコール・ワットが広く知られるようになったのは、19世紀中ごろにフランス人の探検家が旅行記を出版してからです。1970年から1990年までのカンボジア内戦で、アンコール・ワットも軍事拠点として使われ、仏像を中心に破壊を受けました。現在各国の協力で修復作業が進められています。 図3 アンコール・ワット
図3はアンコール・ワットの拡大図です。アンコール・ワットは西を向いています。従って朝方に行くと逆光となりますので、午後の観光の方が良いと言われています。お堀にかかる石橋が見えています。石橋の先には西大門、前庭、三重の回廊が見えています。第一回廊には、インドの神話や物語を題材としたレリーフが彫られています。中央部には須弥山(しゅみせん)を摸した5つの祠堂(しどう)がそびえています。 写真アンコール・ワットの全景
上の写真は、アンコールワットの全景です。5つの祠堂がわかります。他の遺跡には、整備がされておらず、熱帯樹林が生い茂ったままで朽ち果てているものもあるようです。カンボジアへの旅行者の多くがアンコール遺跡を訪れています。遺跡の崩壊を防いでいつまでも優雅な姿を見せてほしいものです。 観測画像について
AVNIR-2 は、4つのバンドで地上を観測します。図は、いずれも可視域のバンド3(610 〜 690ナノメートル)、バンド2(520〜600 ナノメートル)とバンド1(420〜500ナノメートル)を赤、緑、青に割り当てカラー合成しました。この組合せでは、肉眼で見たのと同じ色合いとなり、次のように見えています。
(図2、3) |