地球が見える 2008年
地果て、海始まる街・リジュボア、ポルトガル
リジュボアはイベリア半島最長のテージョ川(全長1,008km、スペイン語ではタホ川、川の90%はスペインを流れます)の河口近くにひらけたポルトガル最大の港街(人口56万人、圏域を含めると266万人)です。七つの丘が有名なローマ市と同様にリジュボアは坂の多い町としても知られています。 15世紀以来の大航海時代にヴェネツィアを抑え、香辛料貿易で隆盛を極めたリジュボアは1755年に大地震に遭い、街は壊滅しましたが、その後復興され、整然とした美しい町並みへと発展しました。 対岸はブラジル・リオデジャネイロのコルコバードの丘にあるキリスト像に似たキリスト像(クリスト・レイ)があるアルマダです。リジュボア市から西へ20kmのところにあるシントラは、14世紀頃、王室の夏の離宮が置かれており、ユーラシア大陸最西端のロカ岬の拠点です。(ロカ岬は図には含まれていません。ロカ岬には、ポルトガルの有名詩人カモンイス(1524-1580)の「ここに地果て、海始まる」の石碑があります。) 王宮とペナ宮殿はシントラの文化的景観として1995年に国際連合教育科学文化機関 (UNESCO)の世界文化遺産として登録されました。 リジュボアの北30kmに位置するテージョ川西岸の街、ヴィラ・フランカ・デ・シーラは闘牛の街として知られ、牡牛を追いながら練り歩く「赤いチョッキのお祭り」があります。街の東岸には畑が広がっているのがわかります。よく見ると沙漠地帯で多く見られる大型スプリンクラーを用いた円形の畑が数多く見つけられます。 アラビダ半島の南岸にあるセジンブラは、魚のおいしい漁村と知られ、リジュボア市民のリゾート地となっています。その東にはムーア人が築いた城を中心としたパルメラの街があります。12世紀の半ば、イスラム教徒のムーア人とキリスト教徒の間で何度もこの城の奪い合いが行われました。
右の方の長い橋は、リジュボア市近郊の街サカヴェンとモンティージョを結ぶヴァスコ・ダ・ガマ橋です。全長は17.2kmもあり、ヨーロッパで最も長い橋です。その橋のたもとのサカヴェン市側には国際博覧会が1998年に開催されており、この橋も1998年に開通しています。 ヴァスコ・ダ・ガマ橋という名前は、ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマ(1469-1524)のインド到達500周年を記念して名付けられました。 リジュボア市の西にあるベレン地区は、大航海時代のモニュメントが多く残るリジュボアでも最も人気のある場所です。その北のほうにあるバイロ・アルト地区は高い地区という意味で、リジュボアらしさがよくでている古びた家並みの路地があり、ポルトガルの民俗歌謡を聞かせるファドの店や小さなレストランが多い地域です。東側のアルファマ地区も細い路地が入り組んだ街で同じようにファドの店や小さなレストランが建ち並んでいます。 これらの地区に挟まれた南側のバイシャ地区は低地という意味で、大地震後に都市再建された地域でリジュボア・ポンバリーナと呼ばれ、通りが碁盤の目のように走っています。 リジュボア市の北にはリジュボア(ポルテラ)国際空港が見えています。
白亜のジェロニモス修道院はマヌエル一世がヴァスコ・ダ・ガマによりもたされた香辛料貿易にて得た莫大な富を利用して、1502年に着工させました。完成までに300年ほどかかっています。ジェロニモス修道院とベレンの塔は 1983年に国際連合教育科学文化機関 (UNESCO)の世界文化遺産として登録されました。 バイシャ地区にあるコメルシオ広場は、1755年の大地震で破壊されたマヌエル一世の宮殿跡です。同じ地区にあるロッシオ広場は最もにぎやかな広場であり、その西側には馬蹄形アーチのロッシオ駅が見えています。そのロッシオ駅から北に延びている通りは、パリのシャンゼリーゼ大通りを手本としたリジュボアのメインストリートのリベルダーデ大通りです。 旧万博会場は、「太陽、未来の遺産」をテーマに開催され、主な施設が保存され、総合公園として公開されています。ヨーロッパの中でも大きな水族館や大型ショッピングセンターがあり、市民の憩いの場となっています。
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