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地球が見える 2008年

よさこい祭り発祥の街、高知

図1 高知市周辺
(Google Earthで見る高知市(kmz形式、4.62MB、低解像度版))
図1は高知県高知市(人口30万人)の画像です。標高300mの鷲尾山、359mの烏帽子山などの丘陵地を挟んで浦戸湾の北側がはりまや橋交差点、高知城、県庁などがある高知市の中心です。丘陵地の南側には景勝地の桂浜、土佐湾(太平洋)が見えています。図の左端に見える川は、吉野川、四万十川と並ぶ四国第三の川、仁淀川(長さ124km)です。高知市出身の小説家、宮尾登美子の小説にも何度か登場しています。 高知市の北側は、四国を東西に貫く四国山地です。千数百m級の急峻な山々が連なっています。この四国山地を貫くように、上り22本、下り19本ものトンネル(川之江東JCT - 南国IC間の約50kmの区間)を持つ高知自動車道が高知県を縦断しています。

図2 はりまや橋周辺
図2は高知市の中心、はりまや橋周辺の画像です。はりまや橋は、高知県民謡「よさこい節」の一節、「土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た」で謡われています。はりまや橋は、今では交差点の名前や高知市の東西南北に走る路面電車の駅名として名前を残していますが、現存するはりまや橋は、はりまや橋交差点のたもと(北西の位置)の歩道わきにあるかわいらしい橋です。
元々は江戸時代の高知の豪商だった播磨屋と櫃(ひつ)屋の間を流れていた堀川という小川を往来するために掛けられた私設の小橋が起源といわれています。堀川は戦後埋め立てられていたのですが、1998年に人工的に堀川を復活させ、漆塗りの欄干を持つ長さ20mほどの江戸時代のはりまや橋が再現されました。その小さな橋のたもとには、その一節に謡われた悲恋話に登場する坊さんの純信と美しい娘お馬のかわいらしい石像が立っています。近くには明治時代の鋳鉄製のはりまや橋もあります。

戦後の景気対策として1954年にこの「よさこい節」から生まれた「よさこい祭り」は、日本全国に広がりました。祭りで踊る「よさこい踊り」は初めのうちは盆踊り形式でしたが、その後、ロックやサンバのリズムなどを取り入れたことからヨーロッパでもジャパニーズ・サンバとして知られるようになりました。

はりまや橋交差点から北へ1kmのところに見えるのが2008年2月に改装された高架式の高知駅です。地元の杉の木をふんだんに使用した大きなドームが特徴です。東西方向に60m、南北方向に38m、高さ23mもある大屋根が高架橋を覆います。駅舎としては国内初で、くじらドームと呼ばれています。チタン亜鉛合金製の屋根が宇宙からはっきりと見えます。高知駅の北側900mに見える大きな建造物は、2000年に開業した大型ショッピングセンターです。敷地面積が82,600m2もあります。高知ICは高知市の中心から2kmと近く便利です。

はりまや橋交差点から西へ2kmほどのところにある高知城は、戦国武将であり、江戸時代の土佐藩初代藩主山内一豊(1545-1605)の居城でした。1603年に本丸と二の丸が完成し、一豊が入城したときに河中山城(こうちやまじょう)と名付けられましたが、二代藩主忠義の時代に洪水が相次いだため高智山城と改名されました。高知の名前もこれに由来しています。1727年に大火に遭い、1753年に再建され、現在見ることができる城のほとんどは、この再建後のものです。高知城のすぐ南側には高知県庁が見えます。鏡川の南岸には高知競輪場と高知市野球場も見えています。
はりまや橋と高知城の間にある追手筋(おうてすじ)では、長さ1,300mに渡って日曜市が開かれます。高知市には日曜市のほかにも月曜と土曜を除き市内のどこかで街路市が開かれています。よさこい祭りの時には本部競演場がここ追手筋に設置されます。

図3 桂浜周辺
図3は、桂浜周辺の画像です。弓状に砂浜が広がっています。月の名所として知られ、「よさこい節」にも謡われています。山内一豊が関ヶ原の戦いの功績により土佐に入城する前は、桂浜北側の丘陵地に戦国武将・長宗我部元親(1539-1599)の浦戸城があり、一時は土佐の中心地でした。今はその浦戸城の近くの竜頭岬に幕末の英雄である坂本龍馬(1836-1867)の巨大な銅像(台座を含めると13m)がはるか太平洋を見据えて建っています。土佐藩では山内家家臣を上士、旧長宗我部家臣を郷士とし、差別化を図っていましたが、坂本龍馬は郷士出身(厳密には龍馬は次男であったため郷士ではありません。)で、土佐藩の郷士達の多くが幕末に尊皇攘夷運動に身を投じています。

浦戸湾には1972年に完成した長さ1,480m、高さ50mの浦戸大橋がかかっており、湾口の桂浜地区と種崎地区を結んでいます。高知市の太平洋岸は、砂浜が広がっているのですが、潮流が激しく水深が深いことから、海水浴場は種崎地区の種崎海水浴場だけです。
浦戸湾の東側には造船工場も見えています。

図4 四国南部
図4は、土佐湾を臨む四国南部の画像です。西から高知市、南国市、安芸市が見えています。右下に見えるのは室戸岬です。室戸岬には、実効光度(160万カンデラ)と光達距離(48km)が日本一の室戸岬灯台があります。桂浜から13kmほど東に位置するのは高知龍馬空港です。2003年11月に愛称化されました。2004年2月に2,500mの滑走路が供用開始され、東京のほか大阪、名古屋、福岡、沖縄にも航路があります。



観測画像について:


(図をクリックすると2段階で拡大します)
観測衛星: 陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)
観測センサ: 高性能可視近赤外放射計2 型(AVNIR-2)(図1〜図4)及び
パンクロマチック立体視センサ(PRISM)(図1〜3)
観測日時: 2008年1月3日10時56分頃(日本標準時) (図1〜3) (PRISM)
2008年2月18日10時54分頃(日本標準時) (図1〜3) (AVNIR-2)
2007年1月14日10時34分頃(日本標準時) (図4) (AVNIR-2)
地上分解能: 2.5m (PRISM)、10m (AVNIR-2)
地図投影法: UTM(ユニバーサル横メルカトール)
AVNIR-2は、4つのバンドで地上を観測します。図1〜4は、可視域のバンド3 (610 〜 690ナノメートル)、バンド2 (520 〜 600ナノメートル)とバンド1 (420 〜500ナノメートル)を赤、緑、青に割り当てカラー合成しました。この組合せでは、肉眼で見たのと同じような色合いとなり、次のように見えています。

濃い緑色: 森林
明緑色: 草地、農地
灰色: 市街地、道路
青: 水域(海、川)

PRISMは地表を520〜770ナノメートル(10億分の1メートル)の可視域から近赤外域の1バンドで観測する光学センサです。得られる画像は白黒画像です。前方、直下、後方の観測を同時に行うことができますが、ここでは後方視の画像を使っています。
AVNIR-2画像を「色相(Hue)」、「彩度(Saturation)」、「明度(Intensity)」に変換(HSI変換)し、明度を PRISM画像で置き換えて再合成することで見かけ上、地上分解能2.5mのカラー画像を作成することができます。 図1〜図3は、このように高分解能の白黒画像と低分解能のカラー画像を組み合わせて合成された高分解能のカラー画像、つまりパンシャープン画像です。色合いは上記のAVNIR-2画像と同様です。

関連サイト:
ALOS 解析研究ページ
開拓から観光へ:北海道、札幌
宇宙から見た鳴門の渦潮
名古屋城と輸送インフラの変遷
蔵王の東西の2県庁所在地:仙台と山形
地球が見える 陸地・地形
本文ここまで。
画像:人工衛星の情報を掲載 サテライトナビゲーター
画像:衛星利用の情報を発信 衛星利用推進サイト
画像:衛星から見た地球のデータ集
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