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地球が見える 2008年

アドリア海の真珠・ドブロヴニク旧市街、クロアチア

図1 クロアチア南端、ドブロヴニク地方
図1は2007年6月に捉えたクロアチア南端のドブロヴニク地方の画像です。アドリア海に面した沿岸地域がクロアチアで、内陸の山岳・丘陵地域はボスニア・ヘルツェゴヴィナです。クロアチアの大部分は画面の北西に広がっていますが、約7km幅の、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで唯一海岸に接する土地(画像の左上の部分)が、ドブロヴニク地方と他のクロアチア地方を切り離しています。
アドリア海沿岸地域は、100〜150kmの内陸まで、そのほとんどが石灰岩からなるカルスト地形です。沿岸には石灰岩が露出する多島海がよく発達していますが、ここは氷期の海面が低下した時期に、陸上で雨水により溶食されて形成されたカルスト地形が、その後の海面上昇により没してできた沈水カルスト地形と考えられます。この地域では最終氷期(およそ7万年前〜1万年前)に現在より125mの海面低下があったとされています。図1にも沿岸部に多くの島が存在している様が見て取れます。

図2 ドブロヴニク市周辺
(Google Earthで見るクロアチア・ドブロヴニク (kmz形式、4.10MB、低解像度版))

図2はドブロヴニク市周辺の画像です。アドリア海はイタリア半島とバルカン半島に挾まれた海ですが、バルカン半島側のクロアチア沿岸部では複雑な地形をもち、風光明媚な景観を構成しています。保養地、景勝地が点在している中、鋭く削られた断崖に中世より海洋貿易の要衝として都市が栄え、今も400年以上前の町並みを残しています。特に「アドリア海の真珠」と呼ばれ美しい町並みを誇るドブロヴニク旧市街はヴェネツィアを中心としたイタリアの小都市群と並び、都市国家として繁栄しました。1979年に国際連合教育科学文化機関 (UNESCO)の世界文化遺産リストに登録されましたが、クロアチア独立戦争により大きな被害を受けたため1991年から1998年までの間は「危機にさらされている世界遺産」に登録されていました。
ドブロヴニクの町はアドリア海に突き出した旧市街と、スルジ山の裾野に広がる新市街からなり、旧市街は城壁で囲まれオレンジ色のレンガで出来た家々が立ち並んでいます。ドブロヴニクには鉄道が通っていませんが、グルージュ地区にバスターミナルや大型客船・フェリー乗り場があり、市内交通や近海の島々への交通網が整備されています。ドブロヴニク市北西には近年F・トウジュマン橋が架けられ、湾の奥まで迂回する必要がなくなりました。
ドブロヴニク市北方のスルジ山(標高412m)山頂にはナポレオンが贈ったという白い十字架が立っています。また、南東約700m沖合にあるロクルム島は3つのビーチを持つリゾートアイランドです。無人島ですが夏になると観光客が押し寄せます。

図3 ドブロヴニク旧市街周辺
図3中央のレンガ色の部分が「アドリア海の真珠」と称えられてきたドブロヴニク旧市街です。14世紀に海洋貿易の要衝として栄えた自治都市の面影が色濃く残された周囲約2kmほどの小さな街には、ヨーロッパで最初期に作られた薬局や孤児院などの福祉施設があり、上下水道などの公共施設も充実しています。その背景には、貿易で利益をあげた商人たちが、その富を独占することなく街のために使ったことにありました。
旧市街を取り囲む城壁は幅3〜6m、高いところでは25mの高さがあり、角にある各要塞を結んでいます。旧市街への入り口の一つ、西側のピレ門から東に向かって目抜き通り(プラツァ通り)が走り、通りの両側に狭い路地が網の目のように伸びています。通りは大理石できれいに舗装されているため画像でも真っ白に光っています。旧市街に入ってすぐ左手にフランシスコ会修道院があります。 1391年に開業したヨーロッパでも3番目に古い薬局があり、2万個以上の薬壺や手書きの処方箋が保存された薬学博物館にもなっています。
旧市街北東部にドミニコ会修道院があります。ロマネスクやゴシック、ルネッサンス様式などを取り入れ15世紀に造られた修道院で、院内は宗教美術館となっています。また南東部には1192年に英国のリチャード王が創建したと伝えられる大聖堂があります。17世紀にバロック様式で再建されたもので、貿易都市として繁栄していた当時を偲ばせる財宝が保存されています。
1991年に始まった独立戦争でドブロヴニク等の沿岸域に栄えた旧市街は一時壊滅状態に陥りました。現在は独立後の混乱を抜け出し、市民の手で修復も進み再び昔の面影を取り戻しつつあります。



観測画像について:


(図をクリックすると2段階で拡大します)
観測衛星: 陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)
観測センサ: 高性能可視近赤外放射計2型(AVNIR-2)(図1〜図3)
パンクロマチック立体視センサ(PRISM)(図2及び図3)
観測日時: 2007年6月18日09時48分頃(世界標準時)(AVNIR-2)(図1〜図3)
2008年5月5日09時45分頃(世界標準時)(PRISM)(図2及び図3)
地上分解能: 10m(AVNIR-2)および2.5m(PRISM)
地図投影法: UTM(ユニバーサル横メルカトール)
(図1〜図3)
AVNIR-2 は、4つのバンドで地上を観測します。図1〜図3は、いずれも可視域のバンド3(610 〜 690ナノメートル)、バンド2(520〜600 ナノメートル)とバンド1(420〜500ナノメートル)を赤、緑、青に割り当てカラー合成しました。図は通常と異なって、緑にバンド2の値×80%とバンド4の値×20%の和を割り当てるという工夫をしたので、植生の分布が見やすくなっています。この組合せでは、肉眼で見たのと同じ色合いとなり、次のように見えています。

緑色: 森林
明緑色: 草地、農地
灰色: 市街地、道路、岩肌
赤っぽい茶色: 建物(レンガ)
青: 水域

(図2及び図3)
PRISMは地表を520〜770 ナノメートル(10億分の1メートル)の可視域から近赤外域の1バンドで観測する光学センサです。得られる画像は白黒画像です。前方、直下、後方の観測を同時に行うことができますが、ここでは直下視の画像を使っています。
AVNIR-2のバンド1 (420〜500ナノメートル)、バンド2 (520〜600ナノメートル)及びバンド3 (610〜690ナノメートル)を青、緑、赤色に割り当てカラー合成したAVNIR-2画像を「色相(Hue)」、「彩度(Saturation)」、「明度(Intensity)」に変換(HSI変換)し、明度をPRISM画像で置き換えて再合成することで見かけ上、地上分解能2.5mのカラー画像を作成することができます。図2及び図3はこのように高分解能の白黒画像と低分解能のカラー画像を組み合わせて合成された高分解能のカラー画像、つまりパンシャープン画像です。

関連サイト:
ALOS 解析研究ページ
千年にわたり作り上げた水の都、ヴェネツィア
アンダマン海の真珠、プーケット
ルネッサンスの花が咲き誇ったフィレンツェ
地球が見える 陸地・地形
本文ここまで。
画像:人工衛星の情報を掲載 サテライトナビゲーター
画像:衛星利用の情報を発信 衛星利用推進サイト
画像:衛星から見た地球のデータ集
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