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地球が見える 2007年

モーツァルト生誕の地、ザルツブルク

図1 ザルツブルク周辺の広域図
図1はモーツァルト(1756〜1791年)が生まれ、育った音楽の都、オーストリア共和国ザルツブルク州の州都、ザルツブルク市(人口約15万人)周辺の広域図です。図の下半分はアルプス山脈の一部で、森林を表す濃い緑色になっており、所々、雲がかかっています。この画像は2007年6〜7月に観測されましたが、標高2,500m以上のところで雪に覆われている所もあります。上半分は平野で、薄い緑色や薄い茶色の牧草地や畑地が広がっています。ザルツブルクは、ザルツァッハ川の両岸に作られた街ですが、図1を見ると、山岳地帯と平野の境目に位置していることが分かります。ザルツァッハ川は南から北へ流れ、図の上の方で、イン川に合流し、イン川はドナウ川に合流して、やがて黒海に注ぎます。
ザルツブルクの東には、いくつかの湖と山並みが織り成す景勝地、ザルツカマーグートがあります。ここの湖は氷河作用によって作られた凹地に水が溜まってできた氷食湖です。ザルツカマーグートとはハプスブルク家の「塩の御料地」を意味し、図の右下のハルシュタット湖の西岸には紀元前2千年紀半ばには本格的な岩塩採掘が行われていた世界最古の塩坑であるハルシュタット塩坑があります。このため、「ハルシュタット・ダッハシュタイン ザルツカマーグートの文化的景観」は1997年に国際連合教育科学文化機関 (UNESCO)の世界文化遺産リストに追加されました。また、バート・イシュル(イシュル温泉)には、オーストリア帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ(1830〜1916年)が建てた夏の別荘があります。 図の下のヴェルフェンという町の近くには、世界最大と言われる氷の大洞窟アイスリーゼンヴェルトがあります。
ザルツブルクの市街地とザルツカマーグートはアメリカ映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となりました。

図2 ザルツブルク近郊
図2は図1の黄色の枠内のザルツブルク近郊を示しています。ザルツァッハ川が図の下から左上に流れ、図の中ほどでザルツブルクの市街地を貫いています。また、図の左から流れてきたザーラッハ川がザルツブルクの北で、ザルツァッハ川に合流しています。図2では、合流後のザルツァッハ川とザーラッハ川がドイツとの国境になっており、その西側はドイツのバイエルン州です。
ザルツブルクのザルツは塩、ブルクは城を意味し、図の下の方のハラインで採掘された岩塩が、ザルツァッハ川を経由して運ばれ、ザルツブルクは古くから岩塩の取引で栄えて来ました。
図の上の方のザルツァッハ川が小さくヘアピンのように曲がっているところにオーベンドルフという村があります。この村には1818年のクリスマスに「きよしこの夜」が作曲・初演された教会がありましたが、川の氾濫で流されてしまい、現在は、きよしこの夜礼拝堂ときよしこの夜博物館があります。
図の右側には「サウンド・オブ・ミュージック」に登場する3つの湖が見えています。フシュル湖はオープニングに登場し、モント湖の北西端のほとりの教会はマリアとトラップ大佐の結婚式の会場となり、ヴォルフガング湖の北岸の蒸気機関車に引かれるシャーフベルク登山鉄道はピクニックシーンに登場しました。また、ザルツブルクの南の近郊に17世紀に建てられたフロンブルク城とヘルブルン宮殿も、この映画に登場しました。

図3 ザルツブルク市中心
(Google Earthで見るザルツブルク (kmz形式、2.89MB、低解像度版))
図3は図2の黄色い枠内のザルツブルク市の中心を示しています。図の右下から左上の方にザルツァッハ川が流れており、図の中央のザルツァッハ川の南西側にメンヒスベルク、北東側にカプツィーナーベルクという2つの小高い丘があり、これらに挟まれたところに市街地が作られたことがわかります。メンヒスベルクに守られるように位置する旧市街には、774年に創建され、その後、改築された大聖堂が鮮緑色(エメラルドグリーン)の十字型として見えています。大聖堂の北西隣には、1619年に完成した大司教の住居、レジデンツが黒と灰色の四角い枠のように見えています。7世紀終わりから19世紀初めまでザルツブルクを治めたのは、カトリック教会の歴代の大司教(聖職者ではなく地方の有力な貴族から選出)で、10世紀後半以降は神聖ローマ帝国に属する独立した小国家でした。メンヒスベルクの頂上には1077年に建設が始まり、1681年に完成したホーエンザルツブルク城塞が見えています。この城塞は一度も陥落したことがなく、空爆を受けたこともないので、中部ヨーロッパで最も良く保存された中世の城塞の一つだそうです。大聖堂の西側には、毎年7月下旬から8月末まで開催されるザルツブルク音楽祭の主会場である祝祭劇場が白く見えています。モーツァルトの生家は大聖堂の北西300mほどのところにあります。
これらの建物を含む旧市街は「ザルツブルク市街の歴史地区」として1996年にUNESCOの世界文化遺産リストに追加されました。
ザルツァッハ川の北東側の新市街には1606年に建てられたミラベル宮殿が鮮緑色の四角い枠の形に見えています。ミラベル宮殿の南350mほどの所には、モーツァルトの住居の他、ドップラー効果を発見したクリスチャン・ドップラー(1803〜1853年)と20世紀で最も偉大な指揮者とされるヘルベルト・フォン・カラヤン(1908〜1989年)の生家があります。
ミラベル宮殿の北にはザルツブルク中央駅が黒っぽく見えています。ザルツブルクはドイツとの国境のすぐ近くに位置しているので、ミュンヘンまではEC(ユーロシティ:国際間の特急列車)で1時間半で行けますが、ウィーンまではECまたはOBB-EC(オーストリア連邦鉄道の国内特急)で3時間かかります。この他、スイスのチューリッヒ、クロアチアのザグレブ、スロベニアのリュブリャナ、ハンガリーのブダペストとの間を結ぶ国際列車が発着します。
図の左にはザルツブルクW.A.モーツァルト国際空港が見えています。ベルリン、ロンドン、パリ、サンクト・ペテルブルク、ウィーン、チューリッヒなどへの便が発着します。空港の北には、オーストリア・ブンデスリーガ(一部リーグ)の2006〜2007年シーズンで優勝したレッドブル・ザルツブルクが本拠地とするヴァルス・ジーツェンハイム・スタジアムが白い四角の枠として見えています。2006年末からは日本の宮本恒靖と三都主アレサンドロの両選手が所属しています。
ヴォルフガング・アマデウス・(W.A.)モーツァルトの父親は、ザルツブルクの宮廷音楽家で、息子の才能に気づいて、音楽の英才教育を施し、6才のときから25才でウィーンに移るまで、ミュンヘン、ウィーン、パリ、ロンドンへ、またアルプスを越えてイタリアへ、親子で演奏旅行に出かけました。当時は鉄道や高速道路なども整備されていなかったので、モーツァルト親子は駅馬車や自家用の馬車を使って、時には病気と闘いながら合計9年近くの旅行を行いました。録音技術のない時代だったので、音楽を聴いてもらうには出かけていって、生演奏を行うしかなく、また、音楽産業が発達していなかったので、音楽家たちはスポンサーとなってくれる王侯貴族を探す必要があったのです。
蓄音機や映写機が発明されたのは、モーツァルトの時代の1世紀後のことで、1965年に公開された「サウンド・オブ・ミュージック」には、上記のミラベル宮殿の庭園や、祝祭劇場、レジデンツ、メンヒスベルクが舞台として使われました。また、8世紀初めに創建され、19世紀後半に現在の姿となったノンベルク修道院はマリアがいた修道院として、18世紀前半に大司教の居城として建てられたレオポルツクロン城はトラップ家の家として登場しました。



観測画像について:


(図1〜図3、図をクリックすると二段階で拡大します)
観測衛星: 陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)
観測センサ: 高性能可視近赤外放射計2型(AVNIR-2)
観測日時: 2007年6月9日10時14分頃(世界標準時)(図1左)
2007年7月8日10時12分頃(世界標準時)(図1右、図2、図3)
地上分解能: 10m(AVNIR-2)
地図投影法: UTM(ユニバーサル横メルカトール)
AVNIR-2 は4つのバンドで地上を観測します。図1 〜図3 は、いずれも可視域のバンド3 (610 〜 690ナノメートル)、バンド2(520 〜 600ナノメートル)とバンド1 (420 〜500ナノメートル)を赤、緑、青に割り当てカラー合成しました。この組合せでは、肉眼で見たのと同じ色合いとなり、次のように見えています。

深緑色: 森林
明緑色、黄土色、茶色: 草地、農地
青っぽい灰: 市街地、道路
赤、青、白など: 建物の屋根
白色: 雲、雪
紺色、灰色っぽい緑: 川、湖
黒: データのないところ

関連サイト:
ALOS 解析研究ページ
音楽とハプスブルク家の都、ウィーン
ドイツ、バイエルン州の州都:ミュンヘン
地球が見える 陸地・地形
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画像:人工衛星の情報を掲載 サテライトナビゲーター
画像:衛星利用の情報を発信 衛星利用推進サイト
画像:衛星から見た地球のデータ集
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