地球が見える 2007年
彷徨える湖の残影、ロプ・ノール
ロプ・ノールとはモンゴル語で、ロプの湖という意味ですが、19世紀の後半、このロプ・ノールは探検家の注目の的でした。それはこれほど大きな湖があることが知られていたにもかかわらず、どこにあるかを誰も知らなかったからです。また、この湖の北西のほとりにあったシルクロードの古代オアシス都市、楼蘭(ろうらん)も貿易上の重要な拠点でしたが4世紀半ばにはなくなり、6世紀にはどこにあったかさえもわからなくなっていたのです。 長い論争と探検の末、1900年にスウェーデンの探検家ヘディンにより偶然、楼蘭の遺跡とロプ・ノールの湖床が発見されました。その時にはロプ・ノールには水はありませんでしたが、34年後に再度ヘディンが訪れたときには満面に水をたたえており、カヌーに乗って下ることができました。 ロプ・ノールは、このヘディンによって沙漠を南北に移動する「彷徨える湖」として提唱され有名になりました。その仮説とは、ロプ・ノールの北部と南部の間の高低差がわずか2mしかないことから、わずかな地表の変化により流路を変えるというものです。沙漠の北にある天山(てんざん)山脈と南にある崑崙(こんろん)山脈の雪を水源とするタリム河が土砂をロプ・ノールに流し込むことにより湖底が高くなる一方、沙漠が烈風でどんどん浸食されていき、やがてロプ・ノールの湖底と沙漠の高低が逆転し、水は低いほう(南のほう)に流れ始めます。そうすると今度は逆に、北方の楼蘭付近の沙漠もまた烈風で浸食されていくので、やがてタリム川の水路が北方に戻るというものです。4世紀頃、ロプ・ノールは移動し始め、その湖畔(図1左上ですが図では判別できません)に栄えていた楼蘭は生命の水を失って、深い流砂に埋もれたということです。 一方、1972年頃にはロプ・ノールは事実上消滅していたことが衛星画像などで確認されています。これは気候変動によるタリム盆地の乾燥化、タリム河上流での灌漑、天山山脈と崑崙山脈からの雪解け水の減少などにより、タリム河が途中で消えてロプ・ノールに水を注ぎ込まなくなってしまったためと考えられます。 また、図1上に見えるような正方形の塩田もできており、もはやロプ・ノールに水が注ぎ込むことはなさそうです。ロプ・ノールは二千年も昔、蒲昌海(ほしょうかい)または塩沢と呼ばれ、塩水湖だったので干上がった湖の跡には多量の岩塩が残っています。 画像だけでは判定できませんが、採掘した塩と汲み上げた地下水を塩田の池に入れて溶かし、不純物を取り除いたあと岩塩粒を取り出す湿式(溶解)採鉱、もしくは地下水に溶け込んでいる濃いかん水(塩水)が噴出する「自流井」方式による精製をしていると言われています。塩といっても、塩水を濃縮する過程で生産できるのは食塩の塩化ナトリウムだけではなく、硫酸マグネシウム、臭化マグネシウム、塩化マグネシウム、硫酸カルシウム、塩化カルシウム、塩化カリウムなどがあります。ここで産出されるのが何であるのかは不明ですが、中国の塩の生産量は世界第2位(内訳は海塩が約60%、岩塩が約30%、湖塩が約10%)と十分に塩が採れるので、このような特殊な方法で精製するからには、塩化カリウムなどの肥料用の塩ではないかと推測されます。
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