地球が見える 2006年
ドニエプル川西岸の古都、ウクライナの首都:キエフ
ソフィア聖堂の北には、サンクト・ペテルブルクの冬の宮殿、夏の宮殿などを手がけたイタリア出身の建築家ラストレリの設計によって18世紀半ばに建てられたアンドレイ教会があります。この教会から北西に下る坂がアンドレイ坂で、みやげ物を売る露店と観光客でにぎわっているそうです。アンドレイ坂を下ったところがポディールと呼ばれるかつての商業地区で、古都の風情を思わせる低い家並みや古い建物が続いています。ポディール地区にはチェルノブイリ博物館があります。今からちょうど20年前の1986年に爆発事故が起きたチェルノブイリ原子力発電所は、キエフの北100km程のところに位置しています。 独立広場の東、ドニエプル川河岸に沿った丘陵地は5 kmにわたって緑に覆われたウラジーミル公園です。下流の丘陵地は黄金のドームが林立する「修道院の森」となっており、ペチェールスカ大修道院があります。「キエフ:聖ソフィア大聖堂と関連する修道院建築物群、キエフ-ペチェールスカヤ大修道院」は1990年に国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の世界文化遺産リストに追加されました。
国立キエフ大学からソフィア聖堂に向かって2ブロックのところに黄金の門があります。ここは11世紀前半にキエフ市街を取り囲んでいた城壁の公式の入口があった場所ですが、1240年にモンゴル軍によって破壊され、1982年に再建されたもので、内部に門の廃墟が包まれるように保存されているそうです。 図下には1980年のモスクワ・オリンピック(アメリカ、中国、日本など50カ国は、ソ連によるアフガニスタン侵攻に抗議して、参加をボイコット)のために建設されたオリンピック・スタジアムが見えています。当時ここでは、サッカーの予選と準々決勝が行われました。このスタジアムはウクライナで最大のスタジアムで、当初は10万人(現在は8万3000千人)の観客を収容できたそうです。 キエフはロシアとヨーロッパの狭間に位置し、古くは紀元前6世紀から紀元4世紀頃までのスキタイ・サルマタイ国家の時代、紀元4〜6世紀頃から1240年モンゴル軍による破壊までのキエフ・ルーシの時代、14〜16世紀のウクライナ・コサックの時代、16〜19世紀のロシア帝国の時代、その後のソ連時代、それ以降、1991年12月の独立まで常に歴史の中にいました。ウクライナはソ連時代の分業政策により、鉄鋼、造船、航空宇宙産業などの軍需産業を担っていただけあって、科学技術の水準はきわめて高いそうです。また、ソ連時代の穀物生産も担っていました。21世紀に食糧危機が起こった場合には、それを救う国のひとつはウクライナだという予想さえあるといいます(*)。
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