地球が見える 2006年
ガウディたちが活躍した街:スペイン、カタルーニャ州バルセロナ
旧市街(ゴシック地区)は古くからバルセロナの中心として栄え、中世の面影を残す古い街並みにはその名のとおりゴシック様式の建築物が多く保存されています。その中心にはカタルーニャ・ゴシックの大寺院カテドラルがそびえています。1298年以降150年もの歳月をかけて現在見られるゴシック建築の聖堂へと立て替えられました。また隣接するフレデリック・マレー美術館の先には新大陸に到達したコロンブスが帰国後(1493年)カトリック女王イサベルに謁見した王の広場があります。 新市街(アシャンプラ)は都市計画で区画された直線道路が整備され、中心となるグラシア通りはモデルニスモ*建築の宝庫です。19世紀末にカタルーニャで花開いたモデルニスモは独自の近代芸術で、とりわけ建築において後生に残る作品を多数生み出しました。その中心人物がアントニ・ガウディ(1852〜1926年)です。市街東側にあるシウタデリャ公園は1888年の万国博会場跡地に造園されましたが、当時学生であったガウディが助手として参加、端々に彼の作品を見ることができます。ガウディ建築の特色が遺憾なく発揮されたグエル公園は市街の北西側にあります。広さ12 haにおよぶ公園で、市街を見渡す山の手に波打ったベンチや百本柱の柱列、タイルのコラージュなど幻想的なガウディ空間を生み出しています。市街の北側にあるサグラダ・ファミリア聖堂は、着工当初別の建築家によって建設されていましたが、1年後の1883年にガウディが引き継ぎ、1914年以降はこの仕事に専念、ガウディ最後の仕事となりました。彼の死後も完成目指して工事が続けられています。 「アントニ・ガウディの作品群」は1984年に国際連合教育科学文化機関 (UNESCO)の世界文化遺産リストに登録され、2005年に対象作品が追加されました。また、ガウディのライバルであったドメネク・イ・モンタネール(1850〜1923年)が建築した「バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院」は1997年に世界文化遺産に登録されました。 カタルーニャには天才と呼ばれる芸術家が多く、バルセロナには様々な美術館、博物館があります。ジョアン・ミロ(1893〜1983年)はバルセロナに生まれました。モンジュイックの丘に建つミロ美術館だけでなくバルセロナの街中にはミロの作品が点在しています。パブロ・ピカソ(1881〜1973年)がバルセロナに移ってきたのは1891年(13〜14歳)で、ピカソ美術館には彼がパリに移る1904年までここで過ごした青春時代の作品が主に展示されています。 南西側にあって市街を一望できるモンジュイックの丘は、標高173 mの緑に覆われたなだらかな丘で、全体が220 haにおよぶ大公園になっています。バルセロナ五輪のメイン会場オリンピック・スタジアムの他、カタルーニャ美術館やミロ美術館、スペイン村等数々の施設が集まっています。なお競技場の中の一つサン・ジョルディ室内競技場は日本人建築家の磯崎新氏の設計です。
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