地球が見える 2006年
バッハが活躍した街:ドイツ、ザクセン州ライプツィヒ
今回は、旧東ドイツ地区で唯一、ワールドカップサッカーの会場となったライプツィヒを「だいち」(ALOS)の最新画像で紹介します。
これらの施設は、図中央のライプツィヒ市街地を取り囲むように延びているアウトバーンに沿って配置されています。図の上や下には、湖や貯水池がいくつか見えています。
ツェントラル・シュタデォンの東側には、ヨーロッパで最大の始発着駅の一つで、大きな長方形のライプツィヒ中央駅、300年以上の歴史を持ち、ドイツで二番目に古いオペラハウス、赤い屋根の新市庁舎、世界で最も古く変化に富んだ動物園の一つであるライプツィヒ動物園などが見えています。聖トーマス教会では、ヨハン・ゼバスチャン・バッハ(1685〜1750年)が1723年から1750年までオルガン奏者兼合唱団の指揮者(カントール)を務め、今はそこに永眠しています。ゲヴァントハウス(元々は織物倉庫の意味)は世界最古の民間オーケストラであるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の本拠地です。 ゲヴァントハウスの西隣には、1409年に創設され、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749〜1832年)やフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844〜1900年)、森鴎外(1862〜1922年)が学んだライプツィヒ大学の主校舎があります。 図右下には、高さ91mで、ヨーロッパで最も高い記念碑である、諸国民の戦い記念碑が見えています。ここは、1813年10月16〜19日のライプツィヒの戦い(諸国民の戦い)でナポレオン・ボナパルト(1769〜1821年)指揮下のフランス軍をプロイセン、ロシア、オーストリア、スウェーデンの同盟国軍が包囲し、ナポレオンが敗戦を悟った場所で、その結果、ナポレオンによるドイツ支配は終わりました。この記念碑は、すべての戦死者を弔うため、100年後の1913年に建立(こんりゅう)されました。 図の右上と左下には、高層の集合住宅群を示す幾何学的な模様が見えています。
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