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地球が見える 2005年

麗しき島(イラ・フォルモサ)の中心都市:台北

図1 台北とその周辺
図1は日本の地球資源衛星1号に搭載された光学センサが1998年4月に捉えた台湾の中心都市、台北とその周辺です。上半分は東シナ海で、右上に台湾の最北端、富貴角(フークェイチャオ)があり、淡水河が南から北へ流れています。淡水河の東岸の灰紫のところが台北市の市街地で、そのすぐ北側に国内線専用の松山空港が見えています。中正国際空港は左にあって台北市と高速道路で結ばれています。中正国際空港の周りには、溜池が数多く見られます。市街地以外の陸地は鮮やかな緑色に見えていて、豊かな植生に恵まれていることが分かります。

図2 台北市街地の拡大図
図2でもやはり淡水河が南から北へ流れ、その支流である基隆河が東から西へ、新店渓が北西に流れています。これらの河に挟まれたところが台北市の市街地です。淡水河の近く、市の西部には官庁街があり、総統府、中正公園、二二八公園、台北駅が見えます。中正公園の中には蒋介石総統を記念した中正紀年堂があります。中正が本名で、介石は字(あざな、通称)です。二二八公園は1947年に起きた二・二八事件を記念した公園です。台北駅は白いロの字型に見えていますが、そこに通じる線路は地下に敷設されているため、台北駅の周囲には線路が見えません。日本の新幹線技術とドイツの高速鉄道技術を導入して建設中の台湾高速鉄道は、2006年10月開業予定で、台北駅と台湾南部の主要都市、高雄との間345 kmを80分で結ぶ予定です。
一方、市街地の東部は開発が進んでいる地域で、建国の父、孫文を記念する国父記念館、台北市政府(市役所)、台北世界貿易中心(センター) などが見えています。2004年の大晦日に開館式典が行われ、高さ508 m、地上101階建てで、現在世界一の高さを誇る台北101は図2の時点では工事中でした。市街地南部には台湾大学があります。

図2の下の方には工事中の高速道路が見えていて、右下には工事中のインターチェンジの近くに広さ165ヘクタールの広大な台北市立動物園(上野動物園は14ヘクタール、旭川市旭山動物園は15ヘクタール)があります。図の真ん中を東西に横切っているのは中山高速道路(公路)で、東は基隆市まで、西は中正国際空港方面に延び、やがて南に向きを変えて、高雄市に至る全長372.8kmの台湾の大動脈です。1971年に工事が始まって、1974年に部分開通し、1978年に全面開通しました。ちなみに中山とは、孫文の字です。

図2の上の方には、新北投温泉、国立故宮博物院、圓山大飯店および忠烈祠が見えています。新北投温泉は1894年にドイツ人によって発見され、日本による統治が始まった翌年の1896年に日本人が温泉旅館を建て、その後の温泉街の発展につながりました。
国立故宮博物院は中国の歴代皇帝が収集した70万点近くの収蔵品を誇り、ロンドンの大英博物館、パリのルーブル美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、サンクト・ペテルブルクのエルミタージュ美術館と並ぶ、世界の主要な博物館・美術館の一つです。これらの収蔵品は、元来、北京の故宮博物院が所蔵していたものです。しかし、日本軍の中国への侵攻の際に、戦火から収蔵品を守るために1933年に南京に、1937年には四川省の三カ所に移され、第二次世界大戦後に南京と北京に戻されたものの、国民党と共産党との内戦の激化に伴って精選された収蔵品が1948年に台北に運ばれ、現在に至ったものです。なお、国立故宮博物院では、2004年4月から2006年6月までの予定で、大規模な改装工事が行われており、現在、公開されている本館の展示スペースは本来の1/3程度に止まっています。
圓山大飯店は14階建ての中国の宮殿の建築様式を採用した高級ホテルです。
忠烈祠には抗日戦争や共産党と国民党間の内戦によって犠牲となった将兵などおよそ33万人の御霊が祀られています。

写真1 MRT 写真2 スクータ群団
写真3 国立故宮博物院 写真4 夜の台北101
写真1〜4は2005年8月に現地で撮影したものです。MRT(Mass Rapid Transit)は都心の交通渋滞を解消するために整備が進められています。写真1は1996年に最初に開通した高架式の木柵線で、新交通システム(案内軌条式鉄道)を採用し、無人運転されています。それ以外の淡水線、板南線などは標準軌の鉄道で、都心部ではいずれも地下鉄になっています。また、写真1の下や写真2のように都心部ではスクータが多く、圧倒されます。

近々、打上げ予定の陸域観測技術衛星(ALOS)には地上分解能10mの高性能可視近赤外放射計2型(AVNIR-2)が搭載されるので、より鮮明な最新の画像をお届けできる予定です。



参照サイト:
台湾に関する外務省のページ

観測画像について:
(図1及び図2)
観測衛星: 地球資源衛星1号「ふよう1号」(JERS-1)
観測センサ: 可視近赤外放射計(VNIR)
観測日時: 1998年4月24日午前2時58分頃(世界標準時)
地上分解能: 18.3 m×24.2 m
地図投影法: UTM(ユニバーサル横メルカトール)
図1及び2では近赤外域の0.76〜0.86µm、可視域の0.63〜0.69µm、 0.52〜0.60µmの各バンドに緑、赤、青色を割り当てているので、いずれも肉眼で見た色に近い色付けで植生をやや強調した合成画像です。市街地は茶色っぽく、森林は濃い緑色に、草地や畑は薄い緑色に、水面は黒く見えます。データのないところも黒く表現されています。

関連サイト:
パキスタン北部
ミシシッピー・デルタの都市:ルイジアナ州ニューオーリンズ
壁で分断された都市:ベルリン(その2)
壁で分断された都市:ベルリン(その1)
世界遺産を取り巻く高層住宅群:サンクト・ペテルブルク
アインシュタインの「奇跡の年」の舞台:スイス、ベルン
発展を続ける天使の都:バンコク
霧のない晴れ上がった都、ロンドン

付録:
麗しき島(イラ・フォルモサ):
15世紀から16世紀にかけての大航海時代の中で、台湾の美しい島影を初めて見たポルトガル船の船員は「イラ・フォルモサ(麗しき島)」と叫んだそうです。それは日本の種子島にポルトガル船が漂着し、鉄砲が伝来した翌年の1544年のことと考えられています。ポルトガル語で、イラ(Ilha)は島、フォルモサ(Formosa)は麗しいを意味し、現在では、フォルモサは台湾の別称となっています。台湾の宇宙機関である「國家太空中心」の人工衛星はフォルモサットと名付けられています。

台湾大地震:
1999年9月21日未明に台湾中部を震源とするマグニチュード7.6の地震が発生し、20世紀における台湾で最も大きな地震となりました。東京大学地震研究所によると、「台湾の東海岸付近では、台湾をのせたユーラシアプレートに、フィリピン海プレートが南東から衝突している。そのため、台湾の内陸部は圧縮の力を常に受けており、そのひずみによって生じた活断層が発達している。今回の地震は、その活断層の一つが動いたとみられる。」とのことです。

年号:
台湾では、西暦の他に「民国」という年号が使われています。この年号は1911年の辛亥革命の何年後かを示します。2005年は民国94年ということになります。
本文ここまで。
画像:人工衛星の情報を掲載 サテライトナビゲーター
画像:衛星利用の情報を発信 衛星利用推進サイト
画像:衛星から見た地球のデータ集
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