地球が見える 2010年
東西文化の交叉点イスタンブール、トルコ
図1 イスタンブール市周辺
図1はALOS(だいち)が2010年5月に捉えたイスタンブール市周辺の画像です。アジア側アナトリア高原(画像右側)とヨーロッパ側バルカン半島(画像左側)を隔てるボスポラス海峡を挟んで、トルコ共和国最大の都市イスタンブール市は位置しています。図中の赤みがかった灰色の部分が市街地で、海峡をまたいで市街が広がっている様子がわかります。 図2 イスタンブール市街拡大図
(Google Earthで見るイスタンブール市(kmz形式、5.39 MB高解像度版)) ヨーロッパ側の市街地は金角湾を挟んで南側の旧市街と北側の新市街に分かれています。旧市街は1000年もの長きにわたりビザンティン帝国の首都として繁栄したコンスタンチノーブル(イスタンブールの前の名前)の城壁内だった地域で、歴史的建造物が数多く建ち並んでいます。 図2の上半分は新市街で、ビジネスの中心地として高級ホテルやショッピング街が並んでいます。しかしその歴史は古くビザンティン時代にはジェノヴァの商人が自治権を握っていました。 図3 イスタンブール・アジア側市街拡大図
アジア側の市街地は新興の住宅地ですが、ユスキュダルやカドゥキョイは長い歴史を持つ地区で伝統家屋が残る古い街並みが残っています。図3の赤茶色の部分が住宅地です。城壁を持っていなかったため幾度も侵略で破壊されました。 ![]() ボスポラス海峡横断地下鉄整備事業現在「ボスポラス海峡横断地下鉄整備事業」が円借款により行われています。海峡横断トンネルは150年前のオスマントルコ時代から構想され、世界中の土木専門家により幾度となく計画されましたが、潮流(最大5ノットに及ぶ)や地盤(アナトリア断層に近い)の問題で頓挫してきました。しかし、日本国際協力銀行(JBIC)と欧州投資銀行(EIB)の資金調達でトルコ政府は日本企業へ工事を発注し、現在建設が進んでいます。海峡トンネル部は2008年10月に完成し、2010年3月には東側の陸地と海底トンネル部分がつながりました。図3左上のユスキュダルの埠頭付近に見えるバーコードの様な幾何学的模様は建設中のユスキュダル駅、海峡に突きだした直線状の構造物は地上で作成したトンネルを海底に埋める(沈埋トンネル)ための施設です。完成予定は2013年10月です。近い将来オリエント特急がパリからイスタンブールを通りアジアへと乗り入れる日がくるかもしれません。 ![]() 日本トルコ友好120周年 1890(明治23)年9月16日,日本への親善使節を乗せたトルコの軍艦エルトゥールル号は、帰途台風に遭遇,和歌山県串本沖で沈没しました。587名が死亡する惨事でしたが、地元民の献身的な救助と看護で、救出された69名の乗組員が無事トルコに帰国しました。この遭難事故と救助活動を機に両国の親交が深まったのです。 参照サイト観測画像について![]()
AVNIR-2 は、4つのバンドで地上を観測します。図は、いずれも可視域のバンド3(610 〜 690ナノメートル)、バンド2(520〜600 ナノメートル)とバンド1(420〜500ナノメートル)を赤、緑、青に割り当てカラー合成しました。この組合せでは、肉眼で見たのと同じ色合いとなり、次のように見えています。
(図2、3) |