地球が見える 2010年
日本三景・天橋立と舞鶴市
図1 天橋立と若狭湾西部
図1は、ALOS(だいち)が2009年4月に撮影した若狭湾西部の画像です。若狭湾は、東の敦賀湾(画像右端に見えている小浜湾の東方約30 km)から西の宮津湾までの支湾からなっています。画像の左側に見える弓状の砂嘴(さし。運ばれた砂が鳥のくちばしの形に堆積した地形)が宮津市にある天橋立です。その東側、画像の中央には港湾都市として発展した舞鶴市があります。2つの市を分けるのは由良川です。画像から、若狭湾はリアス式の入り組んだ湾であることが分かります。湾に見える帯状の模様は、観測時に発生していた赤潮を捉えたものです。 図2 天橋立の拡大画像
(Google Earth で見る天橋立(kmz 形式、3.94 MB 低解像度版)) 図2は、天橋立の拡大画像です。弓状の砂嘴は幅20〜170 mで、のべ3.6 kmにわたり、歩いて対岸まで行くことができます。一帯には約8,000本の松が生え、その右側の部分は、白っぽくギザギザな形をしています。これは、砂の流出を防ぐため、一定の間隔で築かれた堤防に砂がたまっているためです。天橋立を浸食から守っています。 図3 舞鶴市の拡大画像
図3は、舞鶴市の拡大画像です。市街は東舞鶴と西舞鶴、大きく二つに分かれています。東舞鶴は軍港から発展した地区で、軍需品や兵器の保管倉庫として明治から大正時代に建てられた赤れんが倉庫群が残っています。また赤れんが博物館は「れんが」をテーマとした博物館で、日本最古級の本格的な鉄骨構造のれんが建造物が元になっています。 岸壁の母舞鶴港は、戦後、在外邦人の引き上げ港に指定され、大陸からの引揚げの拠点となりました。1945 年から13年に渡って66万人余りの引揚げ者が舞鶴港から上陸しています。旧ソ連からの引揚げ船が着くたびに、桟橋では多くの家族や関係者が集まっていました。その中で一人の母親が注目されるようになりました。この人が「岸壁の母」と呼ばれるようになり、映画や流行歌のモデルとなりました。引揚げ者用の桟橋を見下ろす丘には、公園(舞鶴引揚記念公園)が開設され、1988 年に記念館が建設されています。 観測画像について
AVNIR-2 は、4 つのバンドで地上を観測します。図は、いずれも可視域のバンド3(610 〜 690 ナノメートル)、バンド2(520 〜 600 ナノメートル)とバンド1(420 〜 500 ナノメートル)を赤、緑、青に割り当てカラー合成しました。この組合せでは、肉眼で見たのと同じ色合いとなり、次のように見えています。
PRISMは地表を520〜 770 ナノメートル(10 億分の1メートル)の可視域から近赤外域の1バンドで観測する光学センサです。得られる画像は白黒画像です。前方、直下、後方の観測を同時に行いますが、ここでは直下視の画像を使っています。 |