地球が見える 2009年
長崎市と軍艦島:近世の窓口と近代化を支えた石炭島
図1 長崎市と周辺画像
図1はALOS(だいち)が2009年9月に撮影した長崎市と周辺の画像です。東シナ海に面する長崎湾の最奥部に長崎市はあります。周辺は平地が少なく、湾や入り江が多く、起伏に富んだ複雑な地形です。長崎県の海岸線の延長が、北海道に次いで全国2位であることもうなずけます。長崎県は自然環境に恵まれ、国立公園、国定公園がそれぞれ2か所指定されているほか、画像右端の島原半島は活火山で、多くの温泉があります。また用地確保の難しかった長崎空港は、当時画期的な海上空港として、長崎市北方の大村湾に建設されました。 風光明媚な坂の町・長崎市図2 長崎市の拡大画像
(Google Earthで見る長崎市(kmz形式、6.49MB、低解像度版)) 図2は、長崎市の拡大画像です。両側を山に挟まれた浦上川沿いに発達した町であることが分かります。画像の上方、浦上川沿いに、世界平和と文化交流のための記念施設として整備された平和公園があります。東側ゾーンには平和祈念像や原爆落下中心碑が、西側ゾーンには野球場、ラグビー・サッカー場、陸上競技場が見えます。 図3 端島(軍艦島)と長崎半島
図3は、端島(軍艦島)と長崎半島の画像です。長崎半島の近くにある大きな島が伊王島(いおうじま)で、その左下にある島が、高島、中ノ島、端島(軍艦島)です。長崎半島から西に突き出ているところに三菱重工業(株)の長崎造船所が見えています。ここでは造船のほか、衛星用機器の製造も行っています。2005年に小惑星イトカワに到達した小惑星探査機「はやぶさ」の姿勢制御装置はここで製造されました。 近代日本の産業遺産・軍艦島図4 中ノ島と端島(軍艦島)
図4は中ノ島と端島の拡大画像です。中ノ島では、1883年(明治16年)から1893年(明治26年)まで石炭が採掘されていましたが、湧水が激しいため、10年あまりで放棄されています。端島(軍艦島)は、本来は小さな瀬でしたが、埋め立て工事により拡張されました。石炭は江戸時代に既に発見されていたようです。高島炭鉱とともに良質な石炭が採れたため、我が国の近代化を支えた炭鉱の一つで、1890年(明治23年)から1974年(昭和49年)まで採掘されていました。1916年(大正5年)には、我が国初の鉄筋コンクリートの集合住宅が建設されています。昭和30年代の最盛期には、5,000人以上が住み小中学校、病院、映画館等がありましたが、石炭から石油へのエネルギー革命に伴い、1974年に閉山しました。外観が軍艦に似ていることから軍艦島と呼ばれていました。画像からは、島の西側に住宅の跡が見えます。 観測画像について
AVNIR-2 は、4つのバンドで地上を観測します。図は、いずれも可視域のバンド3(610 〜 690ナノメートル)、バンド2(520〜600 ナノメートル)とバンド1(420〜500ナノメートル)を赤、緑、青に割り当てカラー合成しました。この組合せでは、肉眼で見たのと同じ色合いとなり、次のように見えています。
PRISMは地表を520〜770 ナノメートル(10億分の1メートル)の可視域から近赤外域の1バンドで観測する光学センサです。得られる画像は白黒画像です。前方、直下、後方の観測を同時に行いますが、ここでは直下視の画像を使っています。 |