ページの先頭です。
本文へジャンプする。
ここからサイト内共通メニューです。
サイト内共通メニューを読み飛ばす。
サイト内共通メニューここまで。
ここから本文です。

地球が見える 2008年

かつて長安と呼ばれた古都、西安

図1 西安主要部
(Google Earthで見る西安 (kmz形式、4.10MB、低解像度版))
図1は2007年4月、6月及び11月に陸域観測技術衛星「だいち」が捉えた中国陝西(せんせい)省の省都、西安のパンシャープン画像です。全体的に道路が碁盤の目のように東西南北に走っていることが分かります。図1の範囲は随(581年〜618年)と唐(618年〜907年)の首都、長安(城)の範囲(東西9.7km、南北8.6km)に概ね一致しています。
図の上半分に濠で囲まれた長方形の町並みが見えます。この濠が形作る長方形の大きさは東西4.4km、南北2.8kmで、この堀の内側に幅十数メートルの城壁があることが分ります。この城壁の内側は随と唐の長安城の内城に概ね一致します。現在、高さ12mの城壁は唐代の幅約6mの城壁を基礎として14世紀の明の時代にレンガを積み重ねて築かれたもので、完全な姿で残っている城壁としては中国で唯一のものです。城壁には、東門(長楽門)、西門(安定門)、南門(永寧門)、北門(安遠門)があり、それぞれに物見櫓などの建物が建っています。
城壁の内側(城内)には、陝西省政府と西安市政府の建物、時を知らせるために14世紀に建てられた鐘楼と鼓楼があり、鐘楼からは東西南北の各門に至る太い道路が延びています。南門の近くの西安碑林博物館には8万点以上の文化財が収蔵されていますが、その中には漢代から清代までの3,000余基の石碑が含まれており、中国の書の宝庫と言われています。日本の書道の手本のほとんどはここで採られた拓本だそうです。
碁盤の目のような町並みは、城壁の外にも広がっており、城壁の2〜3km外側には太い環状道路が見えています。
図の左上の端の所には絲綢之路(シルクロード)の起点を示す群像があります。
南門の南には陝西歴史博物館があり、先史時代から清代に至る約37万点の文化財を所蔵しています。その南東にある慈恩寺の大雁塔は玄奘三蔵(602〜664年)がインドから持ち帰った大量のサンスクリット語教典や仏像などを保存するために652年に建立されたものです。
東門の近くには唐代の宮殿、興慶宮の跡地に造られた興慶宮公園が見えており、ここには遣唐使として派遣された阿倍仲麻呂(698〜770年)の記念碑があります。
図右下の清龍寺は、日本からの留学僧、空海(774〜835年)が密教の教義を学んだところです。
日本の平城京(8世紀)と平安京(8世紀末〜10世紀)は隋・唐の長安城に倣って建設されましたが、平城京にも平安京にも城壁がないのが長安城との大きな違いです。

図2 西安の広域画像
図2は2007年4月、9月及び11月に陸域観測技術衛星「だいち」が捉えた西安の広域画像です。平地の大半は濃い緑色のところに灰色の点が無数に見えており、田畑の間に村落が点在していることを示しています。
西安は北側を黄河の支流である渭河(いが)に、南側を秦嶺(しんれい)山脈にそれぞれ守られる位置にあります。西安はかつて長安(「永遠に続く平和」の意)と呼ばれ、前漢(紀元前206年〜紀元後8年)から唐に至るまで多くの王朝の都が置かれました。なお、前漢の長安(城)の遺跡が西安市街の北西数kmのところに緑色の領域として見えています。
西安の東の郊外には、6,000年前(新石器時代)の村落遺跡が発掘された半坡遺跡博物館があり、その北東には秦の始皇帝陵があります。
西安の北西の渭河の北岸には秦(紀元前221年に中国統一〜紀元前206年)の都が置かれた咸陽(かんよう)があり、その北には西安咸陽国際空港が見えています。また、渭河の北岸には前漢の皇帝達の陵墓がおよそ40kmにわたって並んでいます。
さらに図の左上には、唐の皇帝達の陵墓があります。

図3 秦の始皇帝陵
秦の始皇帝(紀元前259年〜同210年)は紀元前221年に中国で初めて統一王朝を打ち立てましたが、その陵墓が図の右側に灰緑色の四角錐として見えています。この図で四角錐の底面の大きさを計ると東西、南北ともに375mあります。その東には、何千体もの等身大の兵士や馬の素焼きの立像が発掘された、兵馬俑(へいばよう)があり、兵馬俑博物館1号坑のかまぼこ型の屋根が見えています。
秦の始皇帝陵は1987年に国際連合教育科学文化機関 (UNESCO)の世界遺産文化遺産リストに追加されました。
図の左側の驪山(れいざん)の山麓には風光明媚で温泉もある華清池があります。唐朝の第6代皇帝、玄宗(685〜762年)はここで楊貴妃(719年〜756年)と多くの時間を過ごしました。

図4 前漢の陵墓群(西) 図5 前漢の陵墓群(東)
前漢(または西漢)の皇帝達の陵墓が渭河の北岸にあり、それらは西から順に武帝(前156年〜前87年)の茂陵、昭帝(前95年〜前74年)の平陵、成帝(前51年〜前7年) の延陵、平帝(前9年〜5年)の康陵、元帝(前76〜前33年)の渭陵、哀帝(前27年〜前1年)の義陵、惠帝(前213年〜前188年)の安陵、高祖劉邦(前247年〜前195年)の長陵、そして景帝(前188年〜前141年)の陽陵です。
拡大画像を見ると、いずれもピラミッドのような四角錐の形をしていることが分かります。この中で最も大きいのは茂陵で四角錐の底面の大きさを計ると東西、南北ともに約250mあります。また、延陵と義陵は頂上が台地状になっていることが分かります。

図6 昭陵
図の上部には唐の第二代皇帝太宗(599年〜649年)の陵墓、昭陵があります。景色の良い九峻山の山頂には墓室や地下宮殿が掘られ、九峻山全体が昭陵となっています。図右下には昭陵博物館があります。

図7 乾陵
乾陵(けんりょう)は唐の第三代皇帝高宗(628年〜683年)とその皇后で、中国で唯一の女帝となった則天武后(または武則天)(624年〜705年)の合葬陵です。図中央の濃い緑色の梁山(標高1,048m)の山頂には墓室や地下宮殿があり、やはり梁山全体が乾陵となっています。その南麓には長さ約1,400mにわたって参道が延びていることが分かります。
乾陵の周囲は、段々畑で埋め尽くされており、年輪のように見えています。また、乾陵の西側には複雑に枝分かれした深い渓谷が発達しており、その地形を利用した貯水用のダム湖があることが分かります。



参照サイト:
西安市観光局のホームページ

観測画像について:


(図をクリックすると2段階で拡大します)
観測衛星: 陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)
観測センサ: 高性能可視近赤外放射計2型(AVNIR-2)
観測日時: 2007年11月18日03時34分頃(世界標準時) (図1右及び図2右)
2007年4月19日03時37分頃(世界標準時)(図1左、図2中央、図4及び図5)
2007年9月21日03時39分頃(世界標準時)(図6及び図7)
観測センサ: パンクロマチック立体視センサ(PRISM)
観測日時: 2007年6月4日03時37分頃(世界標準時) (図1)
2007年11月18日03時34分頃(世界標準時) (図3)
2007年2月3日03時39分頃(世界標準時) (図6及び図7)
地上分解能: 10m(AVNIR-2)および2.5m(PRISM)
地図投影法: UTM(ユニバーサル横メルカトール)
(図1、図3、図6及び図7)
PRISMは地表を520〜770ナノメートル(10億分の1メートル)の可視域から近赤外域の1バンドで観測する光学センサです。得られる画像は白黒画像です。前方、直下、後方の観測を同時に行うことができますが、ここでは直下視の画像を使っています。
AVNIR-2の、バンド1(420〜500ナノメートル)、バンド2(520〜600ナノメートル)とバンド3(610〜690ナノメートル)を青、緑、赤色に割り当てカラー合成したAVNIR-2画像を「色相(Hue)」、「彩度(Saturation)」、「明度(Intensity)」に変換(HSI変換)し、明度をPRISM画像で置き換えて再合成することで見かけ上、地上分解能2.5mのカラー画像を作成することができます。図1、図3、図6及び図7はこのように高分解能の白黒画像と低分解能のカラー画像を組み合わせて合成された高分解能のカラー画像、つまりパンシャープン画像です。色合いは下記のAVNIR-2画像と同じです。なお、いずれも、より広い範囲を収めるため、図1では地上分解能を5.625mに、図3、図6及び図7では地上分解能を5mに、それぞれ落としました。

(図2、図4及び図5)
AVNIR-2は、4つのバンドで地上を観測します。図2は、いずれも可視域のバンド3(610〜690ナノメートル)、バンド2(520〜600ナノメートル)とバンド1(420〜500ナノメートル)を赤、緑、青に割り当てカラー合成し、観測日の異なる3枚の画像を貼り合わせて作成しました。この組合せでは、肉眼で見たのと同じ色合いとなり、次のように見えています。

緑色: 森林
明緑色: 草地、農地
灰色: 市街地、道路
青: 水域

関連サイト:
ALOS 解析研究ページ
超高層ビルが林立する香港
悠久の歴史を刻む北京:中国
躍動する都市、上海
沙漠を前進する不思議な河
地球が見える 陸地・地形
本文ここまで。
画像:ロケットの情報を掲載 ロケットナビゲーター
画像:人工衛星の情報を掲載 サテライトナビゲーター
画像:衛星利用の情報を発信 衛星利用推進サイト
画像:ページTOP