地球が見える 2005年
アラビア半島に点在する無数の円形農場
図1は分解能250 mのGLIが2003年に捉えたアラビア半島の主要部、ペルシャ湾および紅海です。アラビア半島の大部分は黄色ないし茶色で、北部のネフド沙漠や南部のルブアルハリ(「空白の地域」という意味)沙漠を始め、広大な沙漠が広がっています。しかし、ネフド沙漠の北部(フレームA)やナジュド中央台地の裾野の部分(フレームB, E, F)では沙漠の中に円形の灌漑農場が無数に見えています。アラビア半島の中央部から紅海に沿った西部にはこげ茶色や深緑の部分があって、多少の植生があることが分かります。 フレームCには、円形農場の他に、アラビア横断パイプラインと道路が海岸沿いに、あるいは、内陸に向かって延びている様子が示しされています。フレームDにはサッカーファンなら良くご存知のバーレーンとカタールが含まれています。
図2は分解能16 mのAVNIRが1997年に捉えた円形農場の画像で、フレームAの一部と同じ場所です。円形農場の大きさがいろいろあること、完全な円ではなく扇形の農場があることなどが分かります。緑色の円形農場の他に茶色のものも見えていますが、これは種を蒔く前か、刈り取った跡を示しています。また、図3をよく見ると時計の針のようなスプリンクラーが見えています。図2でスケールバーと比べると、スプリンクラーの長さ(円形農場の半径)は約350mであることが分かります。一つの円形農場の面積はサッカーグランドの約54倍になります。また、図2とフレームAを比べると、6年間で円形農場がずいぶん増えたことがわかります。 これらの円形農場では、いくつかの広大な帯水層から地下水をくみ上げて、スプリンクラーを回転させながら灌漑して小麦などを生育しています。このため、サウジアラビアは1980年代半ばに小麦の輸出が可能な状態になりました。しかし、汲み上げられる地下水は、この地域が今よりずっと湿潤だった1万年以上前に降った雨水が、地下の帯水層に閉じこめられた化石水(関連サイトを参照願います)であり、現在ではほとんど補給されることがないので、今のペースで水を使い続ければ、地下水資源は2040年までに枯渇すると予測されています。
関連サイト: サハラ沙漠の円形農場と衝突クレータ 付録: アラビア・プレート: アラビア半島はアフリカ大陸などと共にゴンドワナ大陸を構成していましたが、4000万年前〜5000万年前に現在のアラビア半島西岸で火山活動が始まり、それに伴って3000万年前ころからアフリカ大陸から分離し始め、紅海やアデン湾ができました。アラビア半島は、紅海に沿った西部が高く、ペルシャ湾に面した東側が低くて、西高東低の地形となっていますが、西岸の山岳地帯はその時にできたものです。また、アラビア半島最高峰のナビシュアイブ山(標高3760m)は南端近くにあります。その時に火山活動があった地域は、アラビア半島南端からエチオピアの高原地帯、さらに南の大地溝帯へと続いています。、一方、北側では、2000万年前ころからユーラシア・プレートと衝突していて、そのため、ペルシャ湾北側には、非常に険しいザグロス山脈などの山岳・高原地帯が形成されています。 アラビア半島が載ったアラビア・プレートは今でも年間2〜3cmの速度で北上を続けています。 サバ(シバ)王国: シバの女王で有名なサバ(シバ)王国は現在のイエメンとほぼ同じ所で、紀元前10世紀から紀元前2世紀までインドや地中海との乳香、没薬(もつやく)、香辛料の貿易によって栄えました。シバの女王は王国初期の紀元前900年ころに君臨し、香料産業を振興するなど、王国発展の基礎を築きました。なお、乳香とはアジア、アフリカ産の種々のカンラン科ニュウコウ属の木から採れる乳白色の芳香性の樹脂で、宗教儀式で香として焚かれ、香料、製薬や薫蒸の調合剤に用いられます。また、没薬とは、カンラン科ミルラノキ属の木から採れる暗赤褐色の芳香性の樹脂で、宗教儀式で香として焚かれ、香料、消毒殺菌剤として用いられます。乳香が天と精神に対応するのに対し、没薬は地と肉体に対応するとのことです。 モカ・コーヒー: 16〜17世紀にイエメンの紅海側の小港ムハーがコーヒーの輸出港として有名になり、ティハーマ平野の東の山岳地帯で取れるコーヒーは「モカ」と呼ばれるようになりました。 |