地球が見える 2009年
標高マイナス400メートルの塩湖と聖書の世界:死海
図1 死海と周辺画像
(Google Earthで見る死海(kmz形式、5.97MB低解像度版))
図1はALOS(だいち)が2009年4月に撮影した死海と周辺の画像です。画像中央の濃紺の部分が死海です。タンザニアからエチオピアを通り、さらに紅海からシナイ半島を走りヨルダン渓谷を通るアフリカ大地溝帯の北端に位置しています。西側はイスラエルに、東側はヨルダンに面し、最も深いところは水深378 mで面積は810 km2です。標高は海抜マイナス422 mで、世界で一番低い湖となっています。 泉の町エリコ エリコは海抜約マイナス240mで、世界で最も低いところにある都市のひとつです。周辺ではナツメヤシ、バナナ、オレンジなどが栽培されています。世界でも最古の城壁にかこまれた都市の一つでもあり、旧約聖書には、「ラッパを吹き鳴らすとエリコの城壁が崩れ落ちた」とされるヨシュアの戦いが記されています。また、紀元前約1万年前から人が住んでいたことを示す痕跡も発掘されています。 死海文書死海文書は1947年から1956年の間に、死海北西のクムラン要塞付近の11カ所の洞穴から発見された約850巻の古文書です。殆んどは羊皮紙に書かれていますが、銅板の写本も一つ含まれていました。さまざまな年代測定法から、紀元前200年から紀元68年頃に作られたものであると確認されました。大部分がへブライ語とアラム語(キリストやマリアが話していたとされる言語)で書かれ、異なる言語に翻訳されている現在の旧約聖書と基本的に一致している点に驚かされます。 図2 約16年間の死海南部の変化
図2の左の画像は、16年前にJERS-1(ふよう)が撮影した死海の南部地域です。現在の画像(右)と比較すると、死海の縮小が明らかです。現在の水際線を左の画像に赤線で示します。水際が500 m程沖合に移動していることが分かります。1993年当時の湖面の標高は海抜マイナス407 mでした。毎年1 mずつ低下していることになります。 ソドムとゴモラ旧約聖書の『創世記』には、天からの火によって滅ぼされた街としてソドムとゴモラが登場します。その廃墟は死海南部の湖底に沈んだと伝えられています。神は街を焼き尽くす前に、善人ロトとその家族(妻と二人の娘)を助けることにしました。神は彼らに、一刻も早く町の外に脱出する様に忠告します。そして、いかなる事態になろうとも、決して後ろを振り返ってはならないと注意しました。しかし、ロトの妻は後ろを振り返り、塩の柱となってしまいました。死海南西の岩塩の山の中にロトの妻と言われる塩の柱があります。 観測画像について
AVNIR-2 は、4つのバンドで地上を観測します。図は、いずれも可視域のバンド3(610 〜 690ナノメートル)、バンド2(520〜600 ナノメートル)とバンド1(420〜500ナノメートル)を赤、緑、青に割り当てカラー合成しました。この組合せでは、肉眼で見たのと同じ色合いとなり、次のように見えています。
通常は可視域のバンド2 (630〜690 ナノメートル)、近赤外域のバンド3 (760〜860 ナノメートル)、可視域のバンド1 (520〜600 ナノメートル) の各バンドに赤、緑、青色を割り当てますが、ここでは通常と異なって、 緑にバンド2 の値×90%とバンド3 の値×10%の和を割り当てるという工 夫をしたので、肉眼で見たのとほぼ同じ色合いの画像となっています。 |