地球が見える 2006年
名古屋城と輸送インフラの変遷
名古屋駅を挟んで上下に見える茶色い線が鉄道です。画像左上から斜め右下にJR東海道新幹線、東海道本線および名鉄名古屋本線が隣合って走ります。JR中央本線は東海道線と隣合って走り、途中分岐して鶴舞(つるま)公園の西を北上します。また、名古屋駅から南下し、すぐに南西へ向かうのは近鉄名古屋線です。 戦前より航空機産業が盛んな中京工業地帯の中心都市であった名古屋市は太平洋戦争により当時の市域の約4分の1を消失しました。戦後の復興都市計画事業では日本一といわれる100m道路の建設が行われました。久屋大通は名古屋城の南東角より南へ約2kmにわたって、それに直交する若宮大通は東西約4kmにわたって延びています。100mの幅全部を使って車線があるわけではなく、公園や並木があります。今では若宮大通の上に高架の高速道路も走っているので、上空から見ると幅の広い並木道のように見えませんか。都市の発展と技術革新に伴い輸送インフラが水路、鉄道、道路へと発展していった様子がうかがえます。 また、南北に開削された中川運河を下って名古屋港に出ると埋立地が広がっています。埋立地を串刺しにするように伊勢湾岸自動車道が走っているのが見えますが、その飛島ランプを降りたところに三菱重工業株式会社航空宇宙システム製作所飛島工場があります。「だいち」を宇宙に運んだH2Aロケットはここで作られて、種子島へ海上輸送されました。輸送インフラは宇宙へとさらに広がりつつあります。時代をさかのぼり、東海道五十三次の宮(熱田)の宿から桑名の宿の間だけは、唯一海路で結ばれていました。その間は7里(28km)あり、七里の渡しと呼ばれていたそうです。ちょうど飛島のあたりを船が通っていたのではないでしょうか。それから約400年後に宇宙への渡しであるロケットが作られようとは夢のまた夢だったことでしょう。
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