地球が見える 2005年
北欧の衝突クレータ
画像は2003年9月のバルト海沿岸諸国を捉えています。中央にバルト海が黒く見えていて、北はボスニア湾、東はフィンランド湾に伸びています。バルト海を取り囲んでいるのは、西側から時計回りに、スウェーデン、フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ロシア(飛地)、ポーランドの各国です。 ノルウェー南部からスウェーデン、フィンランド、ロシアの一部(コラ半島とカレリア地方)にかけての地域はバルト楯状地 (*) と呼ばれ、先カンブリア時代(46億年前の地球の誕生以降、6億年前ころまで)にできた安定地塊から成り、コラ半島では世界最古級の35億年前の変成岩が見つかっています。カンブリア紀(5億8000万年前〜5億1000万年前)以降は、地殻変動を受けずに長年の浸食作用により平坦化しています。このため、カナダ楯状地と同様に、長年にわたる風雨や氷河による浸食によって湖の多い地形になっています。また、この地域には多くの巨大な衝突クレータが残されており、 分解能250mのGLI 画像でも、以下のクレータが見えています。A〜Eのクレータは、いずれも湖になっています。生成時期の古い順に示します。
バルト楯状地の北西側に接するスカンジナビア山脈は先カンブリア時代末からデボン紀(6億年前ころ〜3億6000万年前)にかけてカレドニア造山運動によってイギリス、アイルランドや北アメリカ東岸のアパラチア山脈などと共に形成されました。カレドニア造山運動は北アメリカ・プレートとユーラシア/アフリカ・プレートが衝突して起きたもので、 当時、上記の地域は隣り合っていました。しかし、ペルム紀(3億年前〜2億5000万年前)以降、両プレートは離れ始め、北大西洋ができて、今でも1年間におよそ3 cmの速度で拡大を続けています。 200万年前から1万年前までの氷河時代の間、北欧地域は分厚い氷河に覆われていましたが、1万2000年前ころから氷河が後退し始めました。地殻は、より密度の大きなマントルの上につりあいを保って浮いている(この状態を「アイソスタシー(地殻均衡)」と言います)ので、氷河の重みがなくなった地殻は隆起し始めました。当初の隆起速度は年間9 cmで、つりあいを回復するためには1万5000年から2万年かかると言われており、ボスニア湾の奥では今でも年1 cmの速度で隆起が続いています。 (*)楯状地(たてじょうち)とは、おもに先カンブリア時代の岩石でできている平らで広大な地域を言います。全体的に見ると、中央部がやや高く、周辺に向かって次第に低くなっていて、中世の騎士が使った楯を伏せたような形をしていることから楯状地と呼ばれます。カナダ楯状地、バルト楯状地などがあります。
関連サイト: 衝突クレータを記憶する楯状地:カナダ、ラブラドル半島 サハラ沙漠の円形農場と衝突クレータ 地球史を物語る赤い大陸:西オーストラリア 25万年前の氷を蓄える白い島:グリーンランド 付録: 隆起の影響: 隆起が顕著な場所として、スウェーデンの2つの世界遺産が挙げられます。一つは、ボスニア湾西岸のヘーガクフテン(ハイコースト)で、ここでは、多くの島々、入り江や湖、標高350 mの平らな丘など氷河作用と氷河の後退そして隆起による新たな陸地の出現に伴い、複雑で変化に富んだ地形が見られます。また、8〜9世紀のバイキングの交易網の良く保存された事例として、世界文化遺産に登録されたビルカとホーブゴーデンはストックホルムの西のメーラレン湖の2つの島にあります。当時は、メーラレン湖は海とつながっていて、バイキング時代の8世紀以降、国際的な交易の中心地として栄えましたが、土地の隆起のために次第に大型船が入れなくなり、10世紀末までに消滅しました。 フィンランドでもヘルシンキの北西230 kmのところにあるポリやそこからさらに180 km北のバーサではそれぞれ港を海側に移さなければなりませんでした。 バイキングの時代と活動範囲: バイキングの時代(800〜1050年)は比較的温暖な時代で、デンマークやスウェーデン、ノルウェーから出発したバイキングが小さな船でヨーロッパの沿岸各地を航海し、活発な活動を行いました。デンマーク系のバイキングは地中海まで到達し、ノルウェー系のバイキングは、860年にアイスランドを発見して定着し、さらにグリーンランドや北アメリカに至る者もいました。スウェーデン系のバイキングはバルト海付近からドニエプル川を下って黒海に入り、ビザンチン帝国の首都コンスタンチノープル(イスタンブール)に至るルートと、バルト海付近からボルガ川を下ってカスピ海に入りバクーを経由してアラブの王国の首都バグダットに至るルートを9世紀末までに開拓し、通商交易を行いました。 |