地球が見える 2004年
サハラ沙漠の湖、チャド湖を訪れる緑のじゅうたん
アフリカ中央部、サハラ砂漠の南端にあるチャド湖を緑のじゅうたんが訪れる様子をGLIが捉えました。チャド湖周辺では、6月から9月が雨季に当たり、乾季(図1と図2)に比べて、雨季(図3と図4)に入ると植生を表す緑色がより鮮やかになり、植生に覆われる範囲も一気に広がることがよく分かります。 図1〜4で植生は緑に、水面は黒または濃い青に、土壌は黄色、赤またはピンクに、雲は白または水色に、それぞれ見えています。現在のチャド湖の主な水面は、画像中央の黒または濃い青の部分だけで、その周りと北部に草地があり、北部の一部などが湿地になっています。各図でチャド湖に向かって南東から延びる緑の筋はシャリ川周辺の植生で、画像の西側から緑の筋がチャド湖の湿地につながっているのはコマドゥグ・ヨベ川の周りの植生です。また、チャド湖の北側と北東側にひだのような細かい構造が見えますが、これはチャド湖が以前に干上がった時にできた無数の砂丘の名残りで、丘の部分は乾いていて白っぽく見えますが、谷の部分はまだ湿っていて植生があるため黒っぽく見え、それらが入り乱れて見えているものです。 かつてのチャド湖はチャド、カメルーン、ナイジェリア、ニジェールの4カ国にまたがり、アフリカ第4の湖面面積を誇る淡水湖で、1960年代前半には湖面の面積がおよそ25,000平方kmありました。しかし、現在では乾季の終わりごろ(図2)にはおよそ1,600平方km(それでも琵琶湖の2.4倍)とかつての1/15に小さくなってしまいました。 チャド湖は内陸の乾燥地帯にあるため、季節や年による湖水位の変動が大きく、また水深が浅いため、歴史的に見ても水位の変動に伴う湖面の面積の変動も大きいことが知られています。 サハラ砂漠が今よりずっと湿潤だったおよそ1万年前には、当時のチャド湖は現在のボデレ低地をほぼ満たすほどに大きく、南西側からべネーエ川を経由して大西洋に注いでいました。湖面面積はおよそ100万平方kmで現在のカスピ海の3倍もありました。最近の1,000年間においては、化石の分析などから水位が大きく変動しつつ、おそらく6回干上がったことが分かっています。1908年頃には湖面水位が下がって、南北2つの湖に分裂しましたが、その後、水位が上昇して、1960年代前半には極大となり、湖面面積は25,000平方kmとなりました。しかし、1960年代後半以降、この地域での雨が少なくなり、チャド湖に注ぐシャリ川などの水を利用する灌漑計画が進んだため、水位が急速に減少し、現在に至っています。 参考資料: (1)国立天文台編 理科年表 平成15年(机上版) 丸善 2002 (2)滋賀県琵琶湖研究所編 増補改訂版 世界の湖 人文書院 2001 (3)米国地質調査所(USGS)EARTHSHOTS: SATELLITE IMAGES OF ENVIRONMENTAL CHANGE
関連サイト: 縮小を続ける沙漠の海:アラル海 付録: チャド湖の最も古い衛星画像: 人類最初の人工衛星が打ち上げられたのは、 1957 年のことであり、宇宙から地球の写真を撮るようになったのはその後のことです。宇宙から見たチャド湖の画像のうち、米国地質調査所のサイトに掲載されている 1963 年のものが最も古いと思われます。 以下のサイトを参照願います。 米国地質調査所のサイト( ”1960s” をクリックすると 1963 年の画像を見ることができます。) アポロ 7 号とスペースシャトルから見たチャド湖 (1968 年〜 ) ランドサットから見たチャド湖 (1973 年〜 ) チャド湖が淡水湖である理由: 乾燥地帯にあり、しかも流れ出る川がないのに淡水湖である理由としては、チャド川に注ぎ込む主要な川であるシャリ川の水がごくわずかな塩分しか含んでいないこと、湖周辺の広大な湿地に生える植物が塩分を吸収すること、地下に滲み出す 5 〜 10% の水が塩分を運び出すことなどが考えられます。 チャド湖を含むボデレ低地の形成: アフリカ大陸は、 6 億年前(先カンブリア時代の終わりころ)には既に存在していたゴンドワナ大陸が 1 億 8000 万年前〜 9000 万年前にかけて分裂してできた古い大陸です。この分裂の際に、アフリカ大陸をたわませるような地殻の圧力がかかり、現在のチャド湖の流水域であるボデレ低地の周りでは、北西にアハガル山地、北にティベスティ山地、東にエネディ山地、南にアダマワ高原、南西にジョス高原が隆起し、その結果、ボデレ低地が出来上がりました。 |