JAXAトップページへ
 サイトマップ

地球観測センターニュース1999.3 No.36


[p.1] [p.2] [p.3] [p.4] [p.5] [p.6] [p.7] [p.8]


「地球観測センター開所20周年」によせて

2代目所長 森下 保廣

 まずは、「地球観測センター(EOC)」開所20周年、おめでとうございます。
 私がこのセンターにお世話になったのは、初代所長の津田明さんの後を引き継いだ昭和57年7月から同59年9月20日迄の2年3ヶ月余りの期間であったと記憶しております。
 当時の我が国は、海洋観測衛星(MOS-1)地球資源衛星(JERS-1)の打上げ運用を計画してはいるものの、まだ自らの地球観測衛星を持たず、専ら米国NASAが民生用として世界に公開したランドサット衛星シリーズからのデータを受信することによりリモートセンシングという若くて新しい技術の習得、定着を図りながら、将来の実利用を目指していた時期であったように思います。
 私がEOCに参りました頃はランドサット2号、および3号に搭載した光学センサー(RBV、MSSなど)からの観測データ(電波)の受信、処理、画像化、データの評価解析から保存、検索、提供といったことが主たる業務で、20名足らずのNASDAの職員が中核となり、「(財)リモート・センシング技術センター(RESTEC)」などの役務要員を配置して、総勢60名、位の人が仕事をしておりました。
 それに加えて、当時のEOCの若手の諸君は一丸となって、地震だ、火山噴火だ、洪水だ、と聞けば放射計を担ぎ出して現地へ駆けつけたり、また外部の研究者とタイアップして湖沼調査や流氷調査などに積極的に参加して衛星データとの対照実験を試みるなど、未だ揺籃期にある我が国のリモートセンシング技術発達史の一幕を自分達、自らが演じているというある種の興隆の気概とでもいうようなものに満ち溢れていたように私は思うのですが・・・。
 彼等はまた、一団となって、よく遊び、よく歌い、よく飲み、そして深更をも忘れて議論しあう等、とに角、伸び伸びとしていて、纏まりがよかったというのも忘れられない印象の一つです。
 このようなEOC関係者の熱気に囲まれての2年有余、昭和59年の春、ランドサット5号のTMデータの初受信、そしてMOS-1棟(現EOC本館)の鍬入れをもって、実質上、EOCと私の「ランドサット時代」は幕を閉じることとなりました。
 この間、勿論、楽しいことばかりという訳には参らず、失敗したことも、苦しかったことも、辛かったことも、また技術的に考えさせられたことなども、走馬灯のように記憶に甦って参りますが、紙面の都合上、申し訳ございませんが、ここでは割愛させていただきます。



地球観測センター20周年を迎えて

3代目所長 小泉 深吉

 地球環境の保全、災害監視及び周辺地域の情報収集のための、衛星による地球観測の重要性が叫ばれている今日、地球観測センターが20周年を迎えた事は慶賀の至りと、心からお祝い申し上げます。
 顧みれば、この分野の発展は実に目覚しいもので、私が地球観測センターに赴任した1984年10月には初めてランドサット5号のTM画像が外部に試験提供されました。
 その後、MOS-1衛星の受信・記録・処理装置の開発が当センターで本格的に開始され、昼夜を分かたぬ作業の結果、MOS-1が1987年2月19日に打ち上げられて4日後の2月23日にはMESSR(可視近赤外放射計)による長崎県大村湾周辺の初画像が取得され、幸運にも雲の合間に長崎空港の滑走路や大村市街を結ぶ橋が鮮明に映し出され、“もも−1号”からの初画像として新聞紙上で大々的に報道されました。
 また、“もも−1号”に搭載された3種類のセンサーの性能評価とアルゴリズムを確立するための航空機検証および衛星検証が多くの研究者の協力を得て実施されました。


地球観測センターの紹介

EORCホームへ
JAXAトップページへ サイトポリシー