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地球が見える 2010年

ペリーが来航した町、浦賀・久里浜と横須賀

三浦半島とその周辺
三浦半島とその周辺
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図1 三浦半島とその周辺

 図1は、2009年9月6日にALOS(だいち)が撮影した、三浦半島とその周辺画像です。画像中央の三浦半島と、右側の房総半島に挟まれた、幅約10 kmの浦賀水道が東京湾への入り口となっています。ここは貨物船やコンテナ船、タンカーなどが1日に500隻以上航行する、世界有数の海上交通路です。
ペリー来航で知られる浦賀・久里浜と横須賀は三浦半島の東側にあり、浦賀水道に面しています。また半島東端にある観音埼灯台は、日本初の洋式灯台として1868年に起工しました。東京湾内を航行する船舶への情報提供と航行管制を行っている東京湾海上交通センターが250 mほど離れたところにありますが、ともに浦賀水道航路の安全に貢献しています。

浦賀と久里浜
浦賀と久里浜
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図2 浦賀と久里浜
(Google Earthで見る浦賀と久里浜(kmz形式、4.3 MB低解像度版))

 図2は、三浦半島東部にある浦賀と久里浜の付近の画像です。アメリカ海軍東インド艦隊4隻を率いるペリーは、大西洋を渡り、ケープタウン、シンガポール、香港、上海、沖縄、小笠原諸島を経由して、1853年7月8日(旧暦の6月3日)に浦賀に入港しました。この時の様子は、「太平の眠りをさます上喜撰、たつた四杯で夜も寝られず」と詠まれた狂歌で有名です。ペリー一行は、浦賀から岬を隔てた江戸幕府が指定した久里浜に7月14日に上陸しました。このとき、アメリカ大統領からの国書を受け取った幕府は、回答を翌年に行うことを約束しました。
ペリーは、翌年2月には再び来航し、日米和親条約が締結されました。ペリーの来航が発端となり、我が国は開国し、明治維新につながりました。久里浜には、ペリー上陸の記念碑や記念館が建設されています。

太平の眠りをさます上喜撰

 「上喜撰」は、上等な宇治茶のブランド名です。また「杯」は、舟を数える単位でもあることから、4艘の蒸気船にかけられています。たった4隻の黒船に、幕府をはじめ日本中が大騒ぎになっている状況が、上等のお茶を飲んで眠れなくなったと詠まれています。
実際には、黒船の来航による混乱は、後年の創作だそうです。幕府には、オランダ政府を通じて、来航が通知されていたうえ、逆に野次馬の整理に大わらわだった様です。

ペリー上陸記念碑

 もと艦隊乗組員のビアズリー退役海軍少将が再来日した際、ペリーの記念碑がないことを嘆き、これがきっかけとなって1901年米友協会がたてました。碑には伊藤博文の筆で「北米合衆国水師提督伯理(すいしていとくペリー)上陸紀念碑」とあります。

横須賀とその周辺
横須賀とその周辺
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図3 横須賀とその周辺

 図3は、横須賀とその周辺の画像です。浦賀や久里浜は現在横須賀市の一部となっています。横須賀市は、東は東京湾に、西は相模湾に面していますが、画像は東京湾に面した横須賀市の中心部です。
黒船の来航を機に開国した幕府は、小さな漁村であった横須賀に、フランスの協力で製鉄所を建設しました。その後明治政府により横須賀海軍工廠(軍需品を製造・修理する工場)となり、横須賀は世界屈指の軍港都市として発展しました。その東側には三笠公園があり、日露戦争の日本海海戦で旗艦となった戦艦三笠が保存されています(三笠公園の拡大図から、戦艦三笠が保存されているのが分かります)。
その東の海の中に猿島(えんとう、さるしま)があります。猿島は、東京湾での唯一の自然島です。江戸時代に台場が築造されましたが、その後猿島砲台が築造され、その要塞跡が見学できます。また三笠公園内の桟橋から連絡船が運航され、海水浴、バーベキュー、釣りでにぎわっています。
画像の上側には、横浜市の人工島である八景島シーパラダイスが見えています。その南の埋立て地には、独立行政法人の海洋研究開発機構の横須賀本部があります。高圧実験水槽といった研究施設のほか、岸壁があり、『かいよう』、『かいれい』、『よこすか』、『なつしま』といった海洋調査船が接岸できます。

猿島

 猿島はもとは豊島と呼ばれていました。1253年、上総(かずさ、現在の千葉県中部)から鎌倉を目指していた日蓮上人が嵐に遭いました。沈没寸前、お題目(『南無妙法蓮華経』)を唱えると白い猿があらわれ、その案内で無事島に上陸できたといいます。この故事にちなみ猿島と名付けられたそうです。1948、49年と2000年の発掘調査では、縄文土器片が出土したり、弥生から古墳時代の遺構、遺物が発見されました。



観測画像について

観測衛星: 陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)
観測センサ: 高性能可視近赤外放射計2 型(AVNIR-2)及び
パンクロマチック立体視センサ(PRISM)
観測日時: 2009年9月6日10時36分頃(日本時間)(AVNIR-2、PRISM同時観測)
地上分解能: 10 m(AVNIR-2)および2.5 m(PRISM)
地図投影法: UTM(ユニバーサル横メルカトール)

AVNIR-2 は、4つのバンドで地上を観測します。図は、いずれも可視域のバンド3(610 〜 690ナノメートル)、バンド2(520〜600 ナノメートル)とバンド1(420〜500ナノメートル)を赤、緑、青に割り当てカラー合成しました。この組合せでは、肉眼で見たのと同じ色合いとなり、次のように見えています。

濃緑: 森林
明るい黄緑: 農地
明るい青灰色: 市街地
茶色: 畑、裸地
青: 海域
白: 人工構造物、雲

 PRISMは地表を520〜770 ナノメートル(10億分の1メートル)の可視域から近赤外域の1バンドで観測する光学センサです。得られる画像は白黒画像です。前方、直下、後方の観測を同時に行いますが、ここでは直下視の画像を使っています。
AVNIR-2の、バンド3 (610〜690ナノメートル)、バンド2 (520〜600ナノメートル)とバンド1 (420〜500ナノメートル)を赤、緑、青色に割り当てカラー合成したAVNIR-2画像を「色相(Hue)」、「彩度(Saturation)」、「明度(Intensity)」に変換(HSI変換)し、明度をPRISM画像で置き換えて再合成することで見かけ上、地上分解能2.5 mのカラー画像を作成することができます。図2、3はこのように高分解能の白黒画像と低分解能のカラー画像を組み合わせて合成された高分解能のカラー画像、つまりパンシャープン画像です。

本文ここまで。
画像:人工衛星の情報を掲載 サテライトナビゲーター
画像:衛星利用の情報を発信 衛星利用推進サイト
画像:衛星から見た地球のデータ集
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