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地球が見える 2009年

標高マイナス400メートルの塩湖と聖書の世界:死海

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図1 死海と周辺画像
(Google Earthで見る死海(kmz形式、5.97MB低解像度版))

図1はALOS(だいち)が2009年4月に撮影した死海と周辺の画像です。画像中央の濃紺の部分が死海です。タンザニアからエチオピアを通り、さらに紅海からシナイ半島を走りヨルダン渓谷を通るアフリカ大地溝帯の北端に位置しています。西側はイスラエルに、東側はヨルダンに面し、最も深いところは水深378 mで面積は810 km2です。標高は海抜マイナス422 mで、世界で一番低い湖となっています。
画像から、死海の東岸と西岸は岩だらけの険しい地形であること、北からヨルダン川が流れ込む様子などが見て取れます。河口付近はヨルダン河から流れ込む水で茶色く濁っています。しかし死海には流れ出る川がありません。塩分濃度は、海水が約3%であるのに対して、30%もあります。このため浮かびながら新聞を読むことも出来ます。また、湖水に含まれるミネラルを使い、化粧品等が製造されています。
画像右上の青っぽい灰色の部分がヨルダンの首都アンマンです。死海に至るルートは、アンマンから死海北部の町エリコを経由するアラブ街道と、イスラエルの首都エルサレム(死海の西方に約20 km離れているため画像には含まれません)から死海南部に至るユダヤ街道があります。

泉の町エリコ

  エリコは海抜約マイナス240mで、世界で最も低いところにある都市のひとつです。周辺ではナツメヤシ、バナナ、オレンジなどが栽培されています。世界でも最古の城壁にかこまれた都市の一つでもあり、旧約聖書には、「ラッパを吹き鳴らすとエリコの城壁が崩れ落ちた」とされるヨシュアの戦いが記されています。また、紀元前約1万年前から人が住んでいたことを示す痕跡も発掘されています。
町には古代から水を供給してきたスルタンの泉があります。エリシアの泉とも呼ばれるこの泉は、旧約聖書に次の様に記されています。紀元前850年頃、この泉の水質が悪く住民が困っていたとき、予言者エリシアは泉に塩を投げ込み、「主は仰せられる。私はこの水を良い水にしたと」と言って神の力を示しました。その後泉の水は清められました。
近くには「誘惑の山」(悪魔がイエス・キリストを誘惑した場所)や死海文書が発見されたクムランがあります。

死海文書

   死海文書は1947年から1956年の間に、死海北西のクムラン要塞付近の11カ所の洞穴から発見された約850巻の古文書です。殆んどは羊皮紙に書かれていますが、銅板の写本も一つ含まれていました。さまざまな年代測定法から、紀元前200年から紀元68年頃に作られたものであると確認されました。大部分がへブライ語とアラム語(キリストやマリアが話していたとされる言語)で書かれ、異なる言語に翻訳されている現在の旧約聖書と基本的に一致している点に驚かされます。

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図2 約16年間の死海南部の変化

図2の左の画像は、16年前にJERS-1(ふよう)が撮影した死海の南部地域です。現在の画像(右)と比較すると、死海の縮小が明らかです。現在の水際線を左の画像に赤線で示します。水際が500 m程沖合に移動していることが分かります。1993年当時の湖面の標高は海抜マイナス407 mでした。毎年1 mずつ低下していることになります。
近年死海では、湖面の低下が問題となっています。これは、ヨルダン川の灌漑用水としての利用や南部での運河開拓によると考えられています。このため、周辺各国では、紅海の海水をくみ上げて、発電や脱塩プラントで使用された後、死海に流し込む計画が立てられています。
画像の下側(南部)もかつては死海の一部でした。湖面の低下は死海を北部と南部に分断してしまいました。現在水深の浅い南部は堤防で仕切られ、ここに死海の水を導き、塩分に含まれる塩化カリウムを生産しています。
画像左端には、ユダヤ戦争(紀元66年から73年まで、ローマ帝国とユダヤ人との間で行われた戦争)最後の戦場となったマサダ要塞が見えます。エルサレム陥落後、ここマサダ要塞に立てこもったユダヤ人967人は、ローマ軍15,000人の包囲攻撃に2年近く抵抗しました。しかし紀元73年、陥落直前のユダヤ人たちは集団自決(2人の女と5人の子供が生き残りました)し、ユダヤ戦争は終結しました。マサダ要塞は2001年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。

ソドムとゴモラ

旧約聖書の『創世記』には、天からの火によって滅ぼされた街としてソドムとゴモラが登場します。その廃墟は死海南部の湖底に沈んだと伝えられています。神は街を焼き尽くす前に、善人ロトとその家族(妻と二人の娘)を助けることにしました。神は彼らに、一刻も早く町の外に脱出する様に忠告します。そして、いかなる事態になろうとも、決して後ろを振り返ってはならないと注意しました。しかし、ロトの妻は後ろを振り返り、塩の柱となってしまいました。死海南西の岩塩の山の中にロトの妻と言われる塩の柱があります。



観測画像について

観測衛星: 陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)
観測センサ: 高性能可視近赤外放射計2 型(AVNIR-2)(図1および図2右)
観測日時: 2009年4月19日08時28分頃(世界標準時)(AVNIR-2)
地上分解能: 10 m
地図投影法: UTM(ユニバーサル横メルカトール)

 AVNIR-2 は、4つのバンドで地上を観測します。図は、いずれも可視域のバンド3(610 〜 690ナノメートル)、バンド2(520〜600 ナノメートル)とバンド1(420〜500ナノメートル)を赤、緑、青に割り当てカラー合成しました。この組合せでは、肉眼で見たのと同じ色合いとなり、次のように見えています。

濃緑: 果樹園
青灰色: 市街地
青色: 水域
茶色: 岩、土
灰色: 砂、塩、建物

観測衛星: 地球資源衛星1 号「ふよう1 号」(JERS-1)
観測センサ: 可視近赤外放射計(VNIR)
観測日時: 1993年10月23日08時32分頃(世界標準時)(図2左)
地上分解能: 18.3 m×24.2 m
地図投影法: UTM(ユニバーサル横メルカトール)

 通常は可視域のバンド2 (630〜690 ナノメートル)、近赤外域のバンド3 (760〜860 ナノメートル)、可視域のバンド1 (520〜600 ナノメートル) の各バンドに赤、緑、青色を割り当てますが、ここでは通常と異なって、 緑にバンド2 の値×90%とバンド3 の値×10%の和を割り当てるという工 夫をしたので、肉眼で見たのとほぼ同じ色合いの画像となっています。

本文ここまで。
画像:人工衛星の情報を掲載 サテライトナビゲーター
画像:衛星利用の情報を発信 衛星利用推進サイト
画像:衛星から見た地球のデータ集
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