地球が見える 2007年
シルクロードに栄えた青の都、ウズベキスタン、サマルカンド
サマルカンドの街は歴史的遺産が数多くある東側の旧市街とソビエト連邦時代の都市計画によってできあがった西側の新市街に分けられます。街の左半分が幾何学的に整然としていることが画像からも分かります。 サマルカンドは古くはソグド人の営むマラカンダという町で、シルクロードの重要なオアシス都市として紀元前10世紀ころから交易により発展してきました。文明の交差点とも呼ばれ、常にシルクロードの中心都市として栄えました。しかし1220年にチンギス・ハーンの攻撃を受けアフラシャブの丘に築き上げられた街は一瞬のうちに廃墟と化しました。そのサマルカンドを蘇(よみがえ)らせたのが一代の英雄ティムール(1336〜1405)です。彼はサマルカンドを彼の帝国の首都とするや、当時の美術・建築技術の粋を集めイスラム世界に名だたる都市に復興しました。街の中心には、ティムールはじめ王様が眠っているグル・エミール廟があります。
現在のサマルカンドはレギスタン広場を中心に開け、当時を彷彿とさせる歴史的建造物の多くはこの周辺に集中しています。レギスタン広場は三つのメドレッセ(イスラム神学校)で囲まれていることが画像からも分かります。レギスタン広場の北東にビビハニム・モスクが見えます。ビビハニムはティムールの妃の名で1404年に建造された壮大なモスクです。かつてはイスラム世界最大規模を誇りました。 その東方、図3では一部が薄い雲で覆われていますが茶色い部分が旧サマルカンド、アフラシャブの丘です。丘の南麓にはティムール王朝ゆかりの人々が眠るシャーヒ・ジンダ廟群が見えます。イスラム教徒の聖地のひとつで、ドームのついた霊廟が並び、その装飾の多様さ、美しさは中央アジア随一と言われます。丘の南東、図3中央にはここで発掘されたソグド人の壁画が展示されている歴史博物館が見えます。かつて交易を担ったソグド人たちの肖像、王に謁見する各国の使節、人々の生活の様子などがリアルに描かれています。 アフラシャブの丘東方にウルグベク天文台跡が見えます。ティムールの孫で帝国の第4代統治者であったウルグベクは、政治外交上の手腕も高く、諸文化に対しても深い理解と援助を惜しまない非凡な施政者でしたが、それとともに彼自身は科学者であり、当時世界でも十指に入る著名な天文学者でした。ここは彼が星を観測していた場所で、高さ40 m、長さ63 mの巨大な六分儀を3階建てのドームが取り囲んでいたと言われます。ここでの観測をもとに、彼は1年間を誤差1分以内という驚くべき精度で算出しました。なお、前述の三つのメドレッセのうちの一つがウルグベクが建造したウルグベク・メドレッセです。 「サマルカンド‐文化交差路」は2001年に国際連合教育科学文化機関 (UNESCO)の世界文化遺産として登録されました。
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