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地球が見える 2006年

盆地にある遊牧民の都:モンゴル、ウランバートル

図1 ウランバートルとその周辺
図1は日本の地球資源衛星1号に搭載された光学センサが1996年5月に捉えたモンゴル国の首都ウランバートルとその周辺です。図中央の濃い緑色の塊はボグド山で、そのすぐ北側をトーラ川が東から西に流れています。ウランバートルの市街地はボグド山の北側、トーラ川のほとりの灰紫色に見えるところです。図の上方にもチンゲルテイ山の濃い緑色の森林が見えています。この辺りはヘンティ山脈の南西端に当たり、ウランバートルは、四方を山に囲まれた盆地にあるので、平原の烈風から護られています。市街地の南西にはボヤント・オハー国際空港が見えています。
モンゴルの国土のおよそ3/4は乾燥した草原、およそ1/4は不毛の沙漠で、森林は1/10以下しかありません。モンゴルの森林は主として山地の北側斜面にありますが、これは、日の当たる南側斜面には森林ができるほど十分な水分がないためです。モンゴルでは、1996年から1998年にかけて大規模な森林火災が発生し、日本の面積の1/10にあたる約400万haにもおよぶ森林が消失しました。図の右上と中央部の焦げ茶色の部分は焼け跡で、右上に紫色の煙が上がっているのが見えています。
薄い緑色は草地や畑地、白は雲で上方に黒い陰を伴っています。

図2 ウランバートル市街の拡大図
(Google Earthで見るウランバートル (kmz形式、2.34MB、低解像度版))
図2はウランバートル市街の拡大図です。中心部の道路を見ると、遊牧民の移動式住居であるゲルの形をした地上絵のようになっています。これは、1945年の第二次世界大戦終了後、旧ソ連方式の都市計画に基づいて道路や公共施設の整備が行われたためです。街の中心部には共産革命の英雄スフバートルを記念した広場があり、広場の周りには政府庁舎、モンゴル国立大学、オペラ劇場、外務省、市庁舎などが配置されています。
また、スフバートル広場の北ないし北西側には、恐竜の化石で有名な自然史博物館、モンゴルのレオナルド・ダ・ビンチと称される僧侶ザナバザルを記念したザナバザル名称博物館そして高さ26 mの観音像のあるガンダン寺が、南側には第8代活物(かつぶつ)の弟の寺として建立されたチョイジンラマ寺院博物館が見えています。さらに少し離れた南ないし南西側には8代目活仏の冬の宮殿として使われたボグドハーン宮殿博物館、北京とモスクワを結ぶ国際列車の主要な中継地でもあるウランバートル駅、ウランバートル市街を見下ろすザイサン・トルゴイ(丘)が見えています。街の西部にはソビエト式集合住宅がいくつかあり、上側に陰を伴う幾何学的な模様として見えています。

最近では、モンゴル出身力士の活躍がめざましく、横綱朝青龍、大関白鵬や初のモンゴル出身力士の旭鷲山ら多くの力士が大相撲を盛り上げています。



参照サイト:
駐日モンゴル大使館
モンゴル政府観光局 旅のインフォメーション

観測画像について:
(図1及び図2)
観測衛星: 地球資源衛星1号「ふよう1号」(JERS-1)
観測センサ: 可視近赤外放射計 (VNIR)
観測日時: 1996年5月14日
地上分解能: 18.3 m×24.2 m
地図投影法: UTM (ユニバーサル横メルカトール)
 可視域の630〜690ナノメートル、近赤外域の760〜860ナノメートル、可視域の520〜600ナノメートルの各バンドに赤、緑、青色を割り当てているので、いずれも肉眼で見た色に近い色付けで植生をやや強調した合成画像です。雲は白く、市街地は薄紫色に、森林は濃い緑色に、草地や畑は薄い緑色や薄い茶色に、北側の斜面は黒っぽく、火災の跡は焦げ茶色に、水面(川)は黒く見えます。データのないところも黒く表現されています。

関連サイト:
モンゴル高原の土壌水分分布 ——現実的になった衛星からの土壌水分観測——
世界遺産を取り巻く高層住宅群:サンクト・ペテルブルク
地球が見える 陸地・地形

付録:
ウランバートルはモンゴル随一の活仏(かつぶつ)ジェブツンダンバ・ホトクトの住居として発達した町です。ホトクトは当初ゲルの寺院に住み、弟子や領民と一緒に季節移動を行う遊牧生活を送っていましたが、19世紀半ばには移動生活をやめ、現在のウランバートルの場所に寺院を設け、定住するようになりました。そして、周辺に弟子の寺院や巡礼者が集まって門前町が形成され、現在の都市に発展したのです。「ウランバートル」はモンゴル語で「赤い英雄」を意味します。
ウランバートルの人口は約93万人(2004年統計)で、同国の人口、約253万人の1/3を超える人口が集中し、極端な一極集中となっています。
標高1,351 mのウランバートルの気候は雨量が少なく乾燥した、典型的な大陸性で、日中と夜間の気温差、冬季と夏季の気温差が大きいです。7〜8月の夏の日中の気温は40℃近くになることがあり、11〜4月の寒くて長い冬は−40℃を下回ることもあり、カナダのオタワと並ぶ「世界で最も寒い首都」として知られています。年間の晴天日が約250日もあります。
モンゴルでは近年、自然災害が頻発し、2000年と2002年の夏には干ばつに、1999〜2000年、2000〜2001年、2002〜2003年の冬には雪害(ゾド)に見舞われ、合わせて1,000万頭以上の家畜を失いました。その背景には、1991年の旧ソ連崩壊後に、社会主義経済から自由主義経済に移行したことをきっかけに発生した次のような事情があります。就職難→経験不足の遊牧民の急増→家畜頭数の急増と草木を根こそぎ食べるカシミア山羊の頭数の増加→過放牧→自然災害の発生→深刻な被害。
そして、このような地方の牧畜業崩壊で首都ウランバートルに戻ってきた人々が郊外に無許可でゲルを建てた「ゲル地区」が広がり、そこで様々な社会問題が発生しています。
本文ここまで。
画像:人工衛星の情報を掲載 サテライトナビゲーター
画像:衛星利用の情報を発信 衛星利用推進サイト
画像:衛星から見た地球のデータ集
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